秋風に手を振って
良樹がこっちに帰っていることを知ったのは、彼が東京に戻る直前だった。メールが飛んできて、可能な限り早く駆け付けたけれど、結局会えたのは新幹線の待ち時間になってだった。彼は駅の横のカフェで私にはわからない専門書を広げていた。
「ごめん、お待たせ」
「いや、」
良樹は首を振ってから、私がコーヒーにとめた視線に気づいて言葉を切った。だんだんと寒くなる季節に合わせて温かく作られたブラックコーヒーは、半分ほど残して、完全に冷え切っている。彼がこのカフェに来てからずいぶんと時間が経っていることの証拠だった。
「いや、まあ、座りなよ」
いま来たところだよと平然と嘘をつくことも、待ちくたびれたよと茶化すこともない。うん、と頷くことしか私にはできなかった。エプロンをつけた店員が注文を聞きにくるまでの一瞬の間、不自然な沈黙が落ちる。私は内心首をかしげる。夏はこんなんじゃなかった。絶対に違った。もっと楽しく話したはず。何が変わったのだろう?
「久しぶり。やっと会えて、嬉しい」
「そうだね。俺も、もっと来れたらいいんだけど」
「ううん。お互い学生だし仕方ないよ」
「うん」
「……」
「急で、悪かったな」
「そうだよ。せっかくこっちに来てるなら、もっと早く教えてくれれば、ちゃんと時間とって会えたのに」
「ごめん。急な法事でさ、俺も、自由に時間があるかわからなかったから、あんまり期待をさせて落胆させるのも嫌だなって」
それでも、と言いたくなる言葉をぐっとこらえる。きっと彼も私のことを考えて、こういう行動をとったのだから。けれど、私が何か文句を言いたかったということは伝わってしまっていた。そしてそれを他人行儀に抑えてしまったということも。
沈黙。
続く言葉が思いつかなくて、窓に目をやる。道の木々は、すっかり赤と黄に色を変えていた。
まだ葉が青々としていた夏のことを思い出す。彼と初めて会った夏休みのこと。一日中外で遊びまわった二人の夏のことを。暑い日差しの中で、私たちの間には笑い声が絶えなかった。些細なことを二人の秘密みたいに確かめ合って、一日中話していた。森林公園での初対面のときのほうが、よっぽど今より親しくみえたはずだ。
あのころが懐かしい。遠距離恋愛だって大丈夫だと思っていた。大学を卒業したら、彼についていけばいい。必要なら、ちゃんと家族という形になって。
目の前の彼を見る。彼がこんなにも遠く感じるのは、離れ離れに住んでいるからだけじゃない。そんなことで私たちの仲が揺らぐはずがない。冷たく肌を刺す秋の風が、きっと私たちによくない魔法をかけたのだ。
「あ」
「どうかした?」
「時計、見間違えてた。もう電車が出るから、行かないと」
「え、急ぎなよ」
腰を浮かせた私を、良樹は制止した。
「綾子はいいよ。飲み物も来たところだし、ゆっくりしていきなよ」
「……うん」
浮ついていた私の前に、店員がカフェオレを置く。白い湯気が立ったそれは、とてもではないが一息で飲み干せそうにはなかった。
「じゃあ、また電話するよ。帰省するときには、連絡するから」
「うん」
じゃあね、と手を振る。マグカップは熱くて持てなかったから、窓の外を歩いていく彼をぼんやりと見送って冷めるのを待つ。急いで帰省したという言葉通り、軽装の良樹は、まるでデートから帰るだけみたいに見えて笑えてしまった。まっすぐに駅へと向かっていくというのに。
いまのさよなら、はきっと本当のさよならになる。そのどうしようもなく寂しいその予感を、私には避ける方法がわからなかった。
※お題は「任意の楽曲をテーマ及びタイトルとする」
「秋風に手を振って」はアイドルマスターシンデレラガールズの楽曲ですが、今回のキャラクターはゲームとは関係ありません。