小説

薄明(2023/11)

大毅のアパートの隣にはガストがあって、そこが僕たちのたまり場だった。僕たちは最初そこで履修の組み方の相談をした。推奨される時間割は提示されていたものの、大毅はどこからか先輩の過去の時間割を入手してきて、これが楽単で、と指差しながら見せてく…

メリア(2023/09)

クソみたいな親のもとで育った子供は、人間になれない。 つまり私も、メリアも、人間にはなれなかった。ということ。 樋崎誠太郎は世間的には立派で成功した人間に見えるかもしれないけど、残念ながらまともな父親じゃなかった。クソみたいな男がお見合いで…

ピアノを習っていてよかったこと(2023/08)

その高校で、K大学に合格したのは私と村中だけだった。嬉しくはない結果だった。教室の真ん中で、先生にバレないメイク方法とか、男と付き合ったり別れたりすることばかり話している人間と相容れないことなんて、はっきりわかっていた。何より村中はバレー…

いつか私になるまで(2023/06)

たとえばショーケースの中に並べられた食品サンプルがあるとする。スパゲッティでもハンバーグでもフルーツが沢山乗ったパフェでもいい。とても美味しそうで、食欲をそそられる。貴方はそれを食べたいと思う。それを――つまり、サンプルではなく、本物を。結…

Champagne(2023/3/1)

籍だけ先に入れて、結婚式は落ち着いてからにしよう。そう決めたのは自分だったけれど、夫婦になるというのがこんなにもあっけなく終わることだとは不思議だった。記念日だからととったホテルの窓から、ぼうっと夜景を眺めていた。 好きな女と結婚して、夫婦…

最初で最後の人生(2023/2/1)

七十六回目の人生の、十九歳と五ヶ月十五日三時間とんで十秒生きたとき、あたしは札幌の街を歩いていた。隣にはゆっちゃんがいて、かじかんだ手を吐息で温めていた。ビルの灯りと街灯に照らされた歩道に人通りはほとんどない。ただ車道を車が行き交っている…

FORGIVE (2022/12/1)

私の仕事は人を殺すことだ。 主に、若く、考えなしで、根拠のない自信に溢れていて、スリルに飢えている、そういう男女を殺すことが多い。私は彼らを殺す方法を千以上考えてきたし、彼らを追いつめる殺人鬼を五十以上、彼らを恐怖させる怪物を百以上生み出し…

砂糖が甘く、朝日が眩しいように(2022/11/1)

眩しさを感じて、あたしという意識が緩やかに浮上していく。遠くから、お兄様の声が聞こえる。 「エナ、……朝だよ。起きて……」 「おはよう、お兄様……」 瞼をあけた私の瞳が焦点を結ぶと、穏やかに微笑むお兄様がいる。 「今日の朝ごはんはパンケーキだよ」 「…

the movie

読書好き、というレッテルは、わかりやすい。自分にとっても、他人にとっても。わたしと同じぐらい本を読む子は、同学年にもう一人ぐらいだと思う。好きなことは何ですかって質問されたときに、迷わずに答えることができる。だから便利。 とはいっても、大多…

throat

音楽家にとって楽器は第二の喉だ。あるいは、第一かもしれない。 楽器の音色は、俺たちの感情をどんな言葉よりも微細に写し出す。もちろん、ある程度の技能があれば、という前提だが。 母の喉は、ヴァイオリンだった。 今でも思い出すことがある。その日の夜…

無題(2021/01/23)

蝉の声が耳につく。そうだ、窓があいているのだ。閉めたいけれど、ベッドから起き上がるのは面倒くさい。 ベッドに横になりながら、キャンバスに向かうしぃちゃんの背中をぼんやりと眺める。この時間が一番好きだった。二番目に好きなのは、しぃちゃんとキス…

嗚呼素晴らしきかなメリー・クリスマス

クリスマスが毎年楽しみだった。一年でいちばん好きな日だ。二番目は誕生日。なんで誕生日が二番目かっていうと、誕生日は僕と、僕の家族や友人だけが楽しいけど、クリスマスは街中のみんなが楽しい日だから。だからいちばんだ。 クリスマスって、すごく素敵…

新生

君だけが 君の掠れた低い声だけが 私を連れ去っていく * * * * * 高校生のころはよかった。スクリーンに映し出されたスライドを眺めながら、そう思う。やるべきことがわかりやすかった。テストで良い点をとればいい。それだけだ。そこに私の意志が介入…

きえない

ドアを開く前から、なんとなく予感があった。だから、玄関先で抱き合う正樹と佳奈美を見た時に、驚きに身を支配されずに怒ることができた。まさかそんな、ではなく、やっぱりな、という気持ち。やっぱりコイツら、私を裏切っていたんだ。 でも、もしかしたら…

お手軽!簡単!「はじめて」キット

簡単キットだというので買ってやってみた。どうにもまったく簡単だとは思えない。イラスト付きの説明書がついているものの、簡単だというよりは簡潔すぎるといったほうが正しい。試しに動かしてみたが、どうやっても五分ぐらい経ったら主人公が死んでしまう…

とおくとおくへ

「生まれてきてよかったって思ったことある?」 さきちゃんは窓から外を見たまま、そう尋ねた。囁くような、呟くような声。鈍行列車のガタゴトという走行音に消されない最低限の音量だった。 「……あるよ」 私は正直に答える。すこし驚いたように、さきちゃん…

公衆電話保護運動

公衆電話を探そう、と言い出したのはヒデだった。特にこれといった理由がある飲み会ではなかったけれど、一次会から店を移して二次会へと続き、みんなひどく酔っぱらっていた。学部の授業の話から、昨日作ったカレーライスにいきなり話がとんでも、誰も違和…

メリー・クリスマスは遠く

トナカイとサンタの黒い、がらんどうの瞳が僕を見つめている。オマエ、ソノママデ本当ニイイト思ッテル? 適当にアフレコしてみて、いったい彼らは何のことを言っているんだろうと自問自答した。 「ねえ、ちょっと」 先輩が僕の腕をつついた。 「なにぼーっ…

秋風に手を振って

良樹がこっちに帰っていることを知ったのは、彼が東京に戻る直前だった。メールが飛んできて、可能な限り早く駆け付けたけれど、結局会えたのは新幹線の待ち時間になってだった。彼は駅の横のカフェで私にはわからない専門書を広げていた。 「ごめん、お待た…

夢うつつ

ドアベルが軽やかな音を立てて来客を知らせた。薄明るい室内を見渡すと、ほかに客はいないようだった。まっすぐに視線を戻すと、グラスを拭っていたバーテンダーと目が合う。彼はわたしに微笑みかけると、すっとその後ろへと目を走らせた。つまり、真っ暗な…

言葉の遣い方

下駄箱のところで真理亜に出くわした。待っていたの、と聞くと首を振る。じゃあ偶然? と尋ねると首をひねる。よくわからないけれど、無口な真理亜から事情を聞きだすのも面倒なので、一緒に帰ることにした。 靴を履き替えて外に出ると、太陽は既に姿を隠し…

ヨシノが死んでよかった

ヨシノが死んだと聞いたとき、よかったと思った。ヨシノはサクラシリーズの最後の一人だった。サクラシリーズは日本の研究所由来の人工生命で、誰よりも人間たちに心を傾け、親身に寄り添い、そして彼らが死に絶えたのに耐えられず倒れていった。ヨシノも例…

何もない場所を確かめに行く

ヒールと金属の板がぶつかりあって甲高い音を立てる。カンカンカン。 一段、二段、と数えていた時期もあった。 力の続く限り走り続けた時期もあった。 でもどちらにしたって、結局階段は終わらないし、鉄塔はどこまでも伸びていくのだ。それがわかったから、…