the movie
読書好き、というレッテルは、わかりやすい。自分にとっても、他人にとっても。わたしと同じぐらい本を読む子は、同学年にもう一人ぐらいだと思う。好きなことは何ですかって質問されたときに、迷わずに答えることができる。だから便利。
とはいっても、大多数の本を読まない子たちにとって、読書好きっていうラベルの中身は細分化されていない。わたしも、美礼ちゃんも、同じように、本を読むのが好きで、頭がいい――ように見える、子。
美礼ちゃんの読書カードには、難しい本がたくさん並んでいる。偉人の伝記や、宇宙の話とか、わたしみたいに、物語の本ばっかりのカードとは違う。913、923、933……カウントアップしていくみたいな並びを、美礼ちゃんのカードと見比べてみて、ため息をつく。
「なにか嫌なことでも、あったの」
受付カウンターに影が落ちた。
「なんでもないよ。はい、美礼ちゃんのカード。今日は何を借りて帰るの?」
「今日はいい」
美礼ちゃんが首を振ると、細くて長い、まっすぐな髪が左右に揺れる。
「お母さんが図鑑買ってくれたから、土日はそれ読むの」
「そうなんだ、よかったね」
「うん」
そこで、チャイムが鳴った。
「あ、17時だ」
「美礼ちゃん、一緒に帰ろう」
「うん」
受付カウンターに立てかけていたランドセルをそれぞれ背負って、図書室を出る。下校のチャイムぎりぎりまで図書室にいたのは、やっぱり今日もわたしと美礼ちゃんだけだった。
わたしと美礼ちゃんは、10分ぐらい歩いた交差点まで、帰り道が同じ。それまで、それぞれ今日読んだ本の話をする。難しい歴史や科学の本も、美礼ちゃんの目を通すとわくわくするような発見に満ちている。それを聞くのはすごく、楽しい。
「今日、美礼ちゃんの読書カードとわたしのを見比べてみて」
「うん」
「美礼ちゃん、難しい本ばっかり読んでいてすごいなって思った」
「それで?」
「え?」
「それで、ため息ついていたの?」
「……うん」
美礼ちゃんが足を止めた。バイバイする交差点は、もうここからでも見える。
「有美のほうがたくさん本読んでるよ。国語のテストだって、点数変わんないじゃん。気にすることないよ」
「――えっと、そうじゃなくて」
わたしは何て説明したらいいか、頭を悩ませた。
「なんていうか、周りに伝わっていないのが、悔しいっていうか」
「伝わってない?」
「うん。クラスのみんなが、たくさん本読んですごいねって言うでしょ。それって、美礼ちゃんもわたしも同じようにすごいねって意味で。でも、美礼ちゃんのほうが難しい本をたくさん読んでるし、つまり、わたしより美礼ちゃんのほうがすごいってことなのに、みんなわかってなくて……それが、悔しい。惜しい? もったいない、と思う」
美礼ちゃんは、目をまたたいた。
「えっと、ちょっと待って」
「うん」
「考える……」
わたしたちは、角の自販機で缶ジュースを買った。たくさん喋って、喉が乾いたから。自販機の隣にあるベンチに二人で座って、同じように一口。美礼ちゃんはソーダで、わたしオレンジジュース。
「考えたんだけど」
「うん」
「有美への評価は、正当だと思う。たとえ本の種類が違っていたとしても、その文章は、読んできた本は、有美の中に溜まっていて――何かに役立つだろうから」
「役立つって、何に?」
「わからない。けど、ピカソも、ゴッホも、生きている間に評価されることはなかったから。何が価値があることかは、すぐにはわからないものだと思う」
「ふうん」
わたしはピカソでもゴッホでもないし、小説をたくさん読んでいることが、何かに役立つとは思えないけど、でも美礼ちゃんがわたしを慰めてくれていることはわかった。
「たとえばだけど」
「うん」
「私、有美の書いている詩、好きだよ」
「えっ」
ぱっと脳裏に、ノートに走り書きした文字が浮かび上がる。
「いつ見たの!?」
「さあ、いつでしょう」
美礼ちゃんはソーダの空き缶をゴミ箱に捨てて、歩き出す。慌てて私も追いかけた。
「ちょっと、勝手にノート見ないでよ!」
「あはは」
回想シーンはここで終わる。
* * *
終、という白い文字も消えて一秒ほどの間、客電が点いた。俺以外の客――二、三組のカップルが立ち上がって、エモかったぁ、と語りながら退出していく。二十四しかない客席。平日の午後ということを考えれば、十分に人入りがあるほうなのかもしれない。
マナーモードにしていた携帯を取り出し、通知を確認した。特に何もメッセージは来ていない。メッセージアプリを開いて、愛生の名前をタップする。
「映画、観たよ、おもしろ……」
「お客さん」
振り返ると、映画館の制服を来た女性が、箒と塵取りを持って立っていた。
あ、でます、と呟きながら女性の横を通り抜ける。絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、続きを打った。
「このはなし、おれたちの――」
そこで手を止めた。バックスペースボタンを連打して、おもしろかったよ、まで文章を削
除する。送信。既読がつくまでどれくらいかかるだろうか。
平静を保てたのは、劇場を出たところまでだった。ずるずるとしゃがみ込む。
俺は、救いたい人を救えていたのだろうか。
あの男を。
ピロン、とスマホが通知音を鳴らした。画面を見る余裕は、まだ俺にはない。
あとがき
・今年も筑波大学文芸部関係者によるAdvent Calendarに参加させていただきました。この小説は、13日のために書き下ろされました。神乃さん、主催いただきありがとうございました。