ヨシノが死んでよかった

 ヨシノが死んだと聞いたとき、よかったと思った。ヨシノはサクラシリーズの最後の一人だった。サクラシリーズは日本の研究所由来の人工生命で、誰よりも人間たちに心を傾け、親身に寄り添い、そして彼らが死に絶えたのに耐えられず倒れていった。ヨシノも例にもれず人間たちが大好きだった。うんざりするほど、センセイたちの話をしてくれた。さえずるような高い声が惚れ惚れするほど美しく、僕たちは人間になんかこれっぽっちも興味がないというのに、その声を聴くためだけにヨシノの周りに集まった。センセイが語ってくれた童話や、センセイが昔旅行に行った先の出来事の話。僕らには何の関係もないその話が、ヨシノには何よりも面白いみたいだった。

 最後のセンセイを埋葬したとき、ヨシノはぽつりとつぶやいた。

「わたしたち、これから何をよすがにすればいいのかしら」

 数は少ないとはいえ仲間がいるじゃないか。僕はそう言った。でもヨシノは首を振った。

「そうじゃないのよ、ラヴァンドラ、あの人たち、もういないのよ。もういないの。帰ってこないのよ」

 それはいいことなんじゃないかと思った。僕は希望として奉られるのにうんざりしていた。遺伝子欠損のない新しい人間、次代へと繋ぐ人工生命、そんなのは嘘っぱちだ。嘘をつくのは本当のことを言うより大変なのだ。センセイたちだってわかっているはずなのに、まるで自分たちも騙されているみたいにふるまうから始末が悪い。

 だからもう嘘をつかなくていいことに、僕はほっとしていた。ヨシノはそうじゃないみたいだったから、何も言わなかったけれど。

 人類が滅亡してから、サクラシリーズはお互いの空虚な心を埋めるように寄り添いだした。彼女たちが語るのは、いつも過去の話ばかりだった。センセイが何を言ったとか、何を作ってくれたとか、何を見せてくれたとか。そうして最後にはため息をつくのだ。ああ、もう誰もいないのね。そんな日々を送っていれば、自然と慕っていた人間たちのもとへ旅立ってしまうのは当然だった。

 あれほどに愛していた人間がいなくなり、仲間たちも消えてしまったヨシノは、とても寂しそうに見えた。だから、もうそんな思いをしなくていいのは、とても良いことだと思ったのだ。

 そう説明すると、ファブリカはそうなのかなと首を傾げた。

「わたしにはわからないよ、でもラヴァンドラが言うならそうなのかな」

「少しは自分の頭で考えたらどう?」

「計算しようとしたら処理落ちしかけたの。ラヴァンドラほどいいチップ積んでないんだから」

「僕だってサクラシリーズに比べたら全然さ」

 サクラシリーズは計算の負荷が重いものの、人間の感情の再現という点においては研究所内でどのシリーズよりも成果をあげていた。センセイたちも力を入れていて、いいチップはみんな彼女たちの中に入っている。

 ヨシノがいなくなった今では、研究所内には機械しかいない。

「それで、ヨシノはどうなったの?」

「そう、それでラヴァンドラを呼びに来たの。ヨシノを埋葬してほしいから」

「力仕事は僕の任務ってわけね、オーケー」

 サクラシリーズは人間たちと同じように埋葬することに決まっていた。最初にヤエが倒れたとき、他のサクラシリーズの子がそう頼んだからだ。そうしてもう動かないガラクタが土の中に消えると、研究所内には綺麗な日常が帰ってくる。今回だって、きっとそう。

 僕たちは掃除もするし、建物が壊れたら直す。でも、ヨシノがいないこの建物は、廃墟と呼んで差支えないだろう。僕たちは、廃墟の中で時間が経つのを待つ。チップが寿命を迎えるそのときまで。それが僕たちに与えられた命令だからだ。

 

 

※お題は「廃墟」「人工生命」「花の名前」でした。

何もない場所を確かめに行く

 ヒールと金属の板がぶつかりあって甲高い音を立てる。カンカンカン。

 一段、二段、と数えていた時期もあった。

 力の続く限り走り続けた時期もあった。

 でもどちらにしたって、結局階段は終わらないし、鉄塔はどこまでも伸びていくのだ。それがわかったから、のぼることに楽しみを見出すのはやめた。習慣にしてしまうのだ。そうしたら飽きることもないし疲れることもない。一歩の重みを減らして、でも着実に、二十センチほどの段差を上にあがる。

 そうして私は毎晩、鉄塔を上っている。

 

 

 戦争なのだ、とその人は言った。

「戦争、ですか」

「そう、戦争」

 それだけ言って彼はフォークに巻き付けたナポリタンを口の中に放り込んだ。途端に目が輝く。

「あの、説明が、足りてないんですけど」

 皿と口を往復する彼の右手は止まらない。ピンと開かれた左手が、私の顔面に突きつけられる。待って、の合図。

 結局彼が再び話し出したのは、ナポリタンをすべて食べ終わってからだった。

「あーやっぱりこっちの食べ物はおいしいよねー」

「どこにでもある、ファミレスだと思いますけど…」

「え、だから、えーっと、話聞いてた? こっちの、地球? の話。僕の世界って固形食糧とか流動食ばっかりでさー、おいしいって感情をこっちに来て初めて知ったよ」

「はぁ……」

 その設定まだ引きずるんだ、と内心呟く。

 でも実際、彼が普通の人じゃないのは確かだと思う。じゃなかったら、私が連日、謎の塔の悪夢を見ることを何も聞かずに当てられるだろう。

「塔を上るのが、戦争なんですか?」

「うん」

「え、戦争、って……銃とか、持って、戦うやつじゃないんですか?」

「うーん、この世界って結構野蛮だよね?」

 彼は微笑んで首をかしげる

「とにかくね、君に上ってもらわなきゃ、僕たちの国は負けちゃうわけ」

「上れるって知らなかったっていうか……ていうか、そんなの、自分たちでやればいいじゃないですか」

「そういうわけにもいかないんだよね。ルールだから」

「ルール」

「そう」

 異世界も面倒なものだなと私は半ば受け入れ始めていた。

「なんで、私なんですか……?」

 彼の目が私をじっと捕らえた。そのとき初めて、彼の瞳が水色をしていることに気づいた。

「選んだんだよ。君なら、きっと上りきれるってね」

「…………そんな、勝手に、選ばれても」

「もちろん、ただ働きってわけじゃない。塔の上に上りついたとき、その上にあるものはすべて君のものだ。正当な仕事に対する正当な報酬が、そこにはあるだろう」

 

 

 目を覚ます。

 夢の中で起きる、という感覚が、未だに慣れない。起き上がって靴を履き直し、また上り始める。現実世界だと可能な限り履きたくない五センチヒールは、夢の中ではどれだけ歩いても全然痛くない。そうじゃなかったら上るのを早々に諦めていただろう。

 鉄塔の中は、どこから光が来ているのか、薄ぼんやりと明るい。階段を上るのには支障がないぐらいだ。外もそうだった、扉を見つけるのには支障があったけれど。かつて外から眺めていただけのとき、塔の表面はつるりとしていた。やすりで磨けるだけ磨き続けたみたいに。内部もそう。無駄な装飾品や配管もなく、ひたすらに簡素な階段と手すりが続いている。

「きっとそれが君の塔という概念なんだろう」

 どうしてなのか聞くたとき、彼はそう答えた。

 子供のときに呼んだ本で、似た挿絵があった、ということをふと思い出した。夢は記憶から形成される、ということも。

 

 

 サークルの活動後、お月見をするんだが来ないかと先輩から誘われた。確かに十五夜だったけれど、その実は酒が飲みたいだけということらしかった。その日活動にいた中で参加しなかったのは、私ともう一人後輩の女の子だけだった。

「月なんか見たって何にもならないじゃないですか」

「別に、月が見たかったわけじゃなくて集まる名目が欲しかっただけだと思うけど」

「酒が飲みたいならそれでいいんです! わざわざ月とか洒落たこと言い出すのがむかつくんです!」

 彼女がどうしてもと言い張るのでコンビニに入って缶チューハイを二本買い、公園で蓋を開けた。おそらく先輩たちよりずっとちゃんと月見しているだろう。

「私、ロマンティックとか無駄に追い求めるのが嫌いなんですよね。例えば、あの月の裏に何があると思う……? とか」

「え、何もないんじゃない?」

「ですよね! それを、夢がないとかロマンがないとか言ってくるの、大嫌いなんです。だいたい、そんな馬鹿なことを考えるような人間が、すっごい時間とお金と労力をかけて、わざわざ月にまで行って、あ、やっぱり何もなかったわ、って確かめてきたわけですよね? それもすごい無駄だと思うんですよね。そんなこと考える暇あったら、もっと建設的なことしろよ、って感じじゃないですか?」

 振られたのかな、と思った。振ったときには、女の子はここまで引きずらないから。

 缶の中が空になったので帰ることにした。彼女は駄々をこねるかと思ったけれど、言いたいことだけ言ってすっきりしたのか、素直に缶をゴミ箱に放り投げた。

 

 

 あ、やっぱり何もなかったわ、って確かめてきたんですよ?

 ふと、後輩の声が響いたような気がした。気のせいかもしれないし、幻聴かもしれないし、実際に聞こえたのかもしれない。夢の中だから何が起こっても不思議じゃない。

 足を止める。手すりから下を覗き込んだけれど、明かりは底まで達していたなかった。今まで上ってきた五、六重ぐらいが微かに見える。きっとずいぶん上ってきたはずなのに何も残っていないなんてな、と寂しく思った。

 少しだけ、身を乗り出す。

「あの塔って、すごい高いですよね」

 ファミレスの薄いコーヒーを飲みながら、最後に聞いたのがそれだった。どうしても聞かなければと思って。

「はい」

「あの、中って、どういう作りなんですか? その、階段、なんですよね? 落ちたりしないんですか?」

「ああ、落ちますよ。当然死にますね」

「えっ」

「あ、いや、夢の中で、って話で。あ、でも今のところ落ちた人は何人かいますけど、現実世界ではちゃんと生きてますよ。だから、まあ最悪のときは一瞬だと思って覚悟を決めてください」

 落ちちゃおうかな、と思った。そうしたらもうこの夢も終わりだ。

 塔の上に何があるか、はっきりとしたことは言われなかったし、あの子の言うとおり何もないのかもしれない。あっても、くだらないものかも。「お疲れ様」って書かれた紙一枚とか。あるいは、塔の上っていうのがそもそも嘘で、階段は永遠と続いて終わりはないのかもしれない。

「君なら、きっと上りきれるってね。まぁ、信じてるから」

 真っ暗な螺旋階段の底を見つめながら、足を浮かせる直前、彼の言葉を思い出した。初めて会ったのに、私を信じ切った目をしていた彼を。どういう根拠があって私を信頼したのかはわからないけれど、私を信じると言った彼を。

 私が上らないと負けちゃうのか。

「うーん……まあ、どうせ夢、だし。何もなくてもいっか」

 よ、と身を起こす。先は長い。どうせ疲れも痛みもないしな、と思って一歩、上った。また一歩。それを繰り返せば習慣になる。

 何もないかもしれない場所を、何もないと確かめに行く。