停滞という幸せ

はじめに

こんにちは。初めまして(?)雨間です。アマアイと読みます。雨間寂だったり、雨間ジャックだったり、雨間単体だったりで小説を書いています。このアドベントカレンダーを作ってくれた漣君と同様、筑波大学の文芸部に所属しています。

小説を書き始めたのは小学生の頃からで、高校まで文芸部というものが無かったので、大学で初めて所属することができました。小説を持ってきて確実に感想をもらえる場というのはとても貴重で素敵だと思うので、野良で書いている人はぜひ遊びに来てください。

 

小説を

自己紹介はここまでにして、早々に小説を置いておきたいと思います。今回のために書き下ろした作品です。

amaaijack.hatenablog.com

BLですが、ここまで読みに来てる人に忠告するのは今更ですよね。

小説だけ読んで帰るのもよし。このまま読み進める場合は、解説になるので、先に小説を読んでおくことをお勧めします。

 

解説:停滞という幸せ

書いた小説を自分で解説する以上にいやらしいことはないと思うんですが、せっかくのアドベンドカレンダーの記事なので何か書きたい、で書いたら解説以上の何でもなかったので仕方なく載せることにしました。 

 

これは幸せな物語です

前提条件として、私は今回のために小説を書こうと思ったときに、クリスマスをテーマとして幸せな物語に書こうと考えたことを理解してほしいです。せっかくのクリスマスなら、ハッピーな話を読みたいし、そんな要望に応えたいというのは自然な発想ですよね?内容にもそんな私の意思が明示されていたと思います。

冗談はそこそこに。

結局、主人公は振られているし、女の先輩とも付き合わないし、全然幸せになってないじゃないか。どこが幸せな物語なんだ。そう思うのも当然だと思います。

でも考えてみてください。

思い出だけで、寂しいとも思わず生きていけるなら、それは素晴らしい人生だと思いませんか?

 

BLが書けるようになりました

ちょっと話がずれますが、私はずっとBLが書けませんでした。というのも、男性が何を考えているのかさっぱりわからなかったからです。

私は小説を書くときは、「どこかにいそうでいない人」を書くように努めています。かつて好きだった人が死んで喜ぶ女*1しかり、秋になると情熱が冷める男女*2しかり。何故かっていうと、そういう話が好きだからですね。でも、男性が何を考えているかわからないのに、リアリティとフィクションの絶妙な隙間を狙うことはできません。なので、ずっとBLには手を出していませんでした。

のですが、今回幸せな物語を書こうと思ったとき、それほど幸せで完璧なものならば、逆にリアリティの薄い、完全なるフィクションとなってしまうBLに託したほうがいいのではないかと思ったのです。

そういうわけで、初めて*3BLを書くことになりました。

 

停滞という幸せ

そういえば、女の先輩は振られているし幸せになっていないのでは? という問いがあると思います。それは全くその通りです。でも彼女は生きているし、いつか幸せになると思います。

「彼女は生きている」ならば、彼は生きていないのか? 

生きていないんです。彼は思い出だけを抱えていくという現状に満足して、停滞しています。変わらないというのは生きていないというのと同じです。でも、変わるというのは労力を使うし、失敗する可能性もあります。そんなことをしなくても幸せだというのは、羨ましい生き方だと思います。

(逆にいえば、完全なる幸せを手に入れたらこれ以上生きていなくてもいい、というのは私の作品の根底にあると思います)

もっとも、思い出だけで生きていけるなんて現実にはそんな人間はいません。停滞している人間がいたとしても、何か変わりたいという思いや不安を抱えているはずです。

 

そんな現実には囚われない、完全なるフィクションの世界の住人をBLという形を通して描かせていただきました。

 

終わりに

今回はBLというフィクションの世界と、停滞という幸せについて語らせていただきました。普段はGLやNLをメインにして書いています。NLはこのブログに沢山載っていますね。定期的に更新しているので読んでもらえると嬉しいです。GLはまだこちらには掲載していませんが、数か月前に発行した個人誌に載っています。 

残り部数がいくつかあるので、欲しい人は連絡ください。

宣伝で終わり!よいクリスマスを!

 

 

※ この記事は筑波のクリエイター Advent Calendar 2017 - Adventarのために作成されました。

*1:「二十歳になれなかった西山君」より「にどと」

*2:秋風に手を振って - amaaijack’s blog

*3:正確には今回の前に1つ話を書いている。樹林クリスマス号に載る予定。

メリー・クリスマスは遠く

 トナカイとサンタの黒い、がらんどうの瞳が僕を見つめている。オマエ、ソノママデ本当ニイイト思ッテル? 適当にアフレコしてみて、いったい彼らは何のことを言っているんだろうと自問自答した。

「ねえ、ちょっと」

 先輩が僕の腕をつついた。

「なにぼーっとしてるの? もう会計しちゃうって言ってたよ。食べたいものあるなら籠に入れなよ」

「あー、うん……」

 視線の先を覗き込んだ彼女が、けらけら笑った。

「え、なに? ケーキ? クリスマス仕様じゃん、えー、なにこれ買いたいの? かわいー」

「あー。いいんスよ」

「いいの? 買えばいいじゃん。クリスマスしか食べられないよ?」

「ホールケーキ買ったらしいじゃないスか」

「あーそっか。確かに。被りは困るなあ」

 後ろから先輩の名前を呼ぶ声が聞こえて、彼女は振り返る。お酒飲みますよね、何がいいですか、と瓶が数本掲げられていた。彼らのもとへ、彼女は軽い足取りで向かっていく。僕はその後ろ姿をぼんやりと見つめた。

 真崎と二人でコンビニのケーキを食べたクリスマスは、遥か遠くにあった。

 

+++

 

 同じ学類で、宿舎も同じとなれば、仲良くなるしかなかった。真崎は真崎健吾という。マサキという響きが名前みたいでみんな苗字で呼んでいた。GPAはそこそこ、サークルはバスケでバリバリの体育会系。中学生男子みたいに下ネタが大好きなのが欠点だけど、女子の前で発しない分には問題はない。

 監獄みたいな宿舎に僕と真崎はうんざりして、夏には脱出計画を立て始めた。広いアパートを借りて、二人でルームシェアするという手を先輩から教わった。共同生活に慣れた人なら、家事を簡単に終わらせられるし、なにより家賃が安い。

 僕たちの大学では、クリスマスと期末試験がちょうど被る。テスト期間に入る前になんとか引っ越しを終わらせられて、僕たちはほっとしていた。しかしすぐにテスト勉強に追われて、気が付いたらクリスマスイブになっていた。

「クソッ、コイツ彼女とデートしてやがる!」

「嘘だろ? 明日は線形のテストなのに?」

「チクショー、俺だってクリスマスしてえよ!」

 地団駄を踏んだ真崎はシャープペンシルを放り投げた。道連れに僕まで近所のコンビニに引きずられ、クリスマス使用のミニケーキを買わされることになった。なんでこんな小さいケーキが三百円もするんだと文句ばかり言いながら、僕たちはケーキをむさぼり食った。小さなケーキは一瞬で口の中に消えていった。

 そのクリスマスには、何の含意もなかった。僕たちはただ、自分を慰めるためだけにケーキを食べた。それだけだ。まだその当時、僕と真崎が体を重ねることはなかったから。

 

+++

 

 またサンタだ。

 クリスマス用のケーキだからサンタの飾りがついているのは当たり前なのかもしれない。ケーキの上に佇んでいる赤い服のおじいさんを、取り上げてどこかに隠してしまいたくなる。サークルのメンバーから白い目で見られるとわかっていても。

「またサンタみてる。好きなの?」

「好き、ってわけじゃないけど……」

「じゃあそれ取っちゃいなよ。いいよー、誰も文句言う人いないって」

「エッ、でも別に飾りもらっても……」

 彼女は目を丸くして僕を見た。

「これ飾りじゃないよ。食べられるんだって」

「嘘でしょう」

「嘘じゃないよ。マジパンって言って。エッ、ずっと捨ててきたの? 勿体ない!」

 本当に食べられるから。試してみてね。彼女はそう言って僕の紙皿にサンタを置いた。近寄ったせいで彼女の香水がふわりと香る。おじいさんは、さっきよりずっと近い距離から、僕を見上げてくる。皿がずっしりと重くなったように思えた。

 

+++

 

「彼女ができたんだ」

 真崎がそう言ったのは、夏のことだった。

「えーと、だから、もうセックスはできない」

 そのとき僕の中にあったのは、そうか僕たちは恋人じゃなかったのか、という微かな驚きだった。

 年を越したあたりから、「オナニーよりはマシ」と称して、僕たちは体を重ねるようになった。それは寒さに凍えるからだを寄せ合って温めるのに似ていたが、春になってからも続いていた。真崎にそう言われるまで。

 なるほど確かに、告白もしていない。二人で出かけたのも男同士ならよくあることだ。これで付き合っていたなんてどうして言えるだろう。

「ヤ、黙ってたのはゴメンって。でも俺もこんなに早く話が進むと思ってなかったんだよな」

「あ、いや、別に、怒ってたわけじゃなくて」

 この感情は何て言うんだろう。自分でもわかっていないものを他人に説明することはできない。

 代わりに目下の事案を伝えた。

「アパート、出たほうがいいんだろうなって」

「え、別にいいだろ」

「いや、普通に嫌だろ。セックスしてた相手とまだ同居してるなんてさ。後々バレたときに面倒だぞ」

「それもそうか……」

「何だったらさ、僕の部屋に住めばいいじゃん、彼女」

「あー……」

 真崎は腕を組んで真剣に考えだした。じゃあ僕物件探してみるわ、と声をかけて部屋に戻りかけたとき、あ、と真崎が声をあげて僕を呼び止めた。

「なに?」

「もうできないけどさ、お前とのセックス、マジで気持ちよかったから。これホント」

 僕は笑ってしまう。

「え、何だよそれ。ありがとうって言えばいいわけ?」

「おう、言え。感謝ならいくら貰っても足りん」

「言わねーよ。まぁ僕も気持ちよかったわ。もうできないのが惜しいぐらい」

 僕はようやくいま抱いている感情が何なのかわかった。

 これは喪失感だ。

 

+++

 

 家が近いから、という理由で先輩は僕が送ることになった。自転車を押しながら並んで歩く。かなり酔っぱらっている先輩の足取りは怪しいけれど、深夜帯のこの町の交通量は0に近く、最悪の事態には至らなさそうだ。

「ねえねえ、クリスマスって予定あるの?」

 ないですって答えたらどうなるんだろう。その結果を、なんとなく僕は察していたけれど、踏み込むつもりはなかった。

「テスト勉強っスね」

「あ…そっか。そうなんだ」

 酔っぱらった先輩は落ち込んだ様子を隠すそぶりもない。

「……これは、あたし、振られちゃったかな?」

 自嘲の中に確かに涙声が混じっていて、はっと驚いた。先輩が僕に好意を抱いていることは気づいていた。外堀を埋めるようにアプローチされては、気づかずにいられない。そのこと自体は、嫌ではなかったけれど、この関係を進展させるつもりもなかった。誤魔化していたのは罪だっただろうか。

「好きな人が、いるんですよ」

 言い訳するように口に出した。

「ずっと、これが好きって感情なのかわからなかったんです。嫉妬もしなかったし、側にいたいわけでもないし。でも最近、たびたびその人とのことを思い出して、それだけで幸せな気持ちになって。だからきっとこれは、好きなのかなって」

「あたしのこと好きだったら、他に好きな人がいてもいいよ」

「いや、僕、あの人の思い出だけで、充分だから。これ以上は要らないんです」

 とてもひどいことを言っているという自覚はあった。先輩も、ひどいよ、と言った。ひどいよ、すごく自分勝手だよ、と繰り返した。

「すみません」

「……ううん。まあ、仕方ないかな。そんな君だから、きっと好きになったんだと思う」

 先輩は押していた自転車に飛び乗った。まだ酔っているのにと慌てる僕を尻目に、じゃああたしの家はこっちだから、と颯爽と去っていく。後には僕だけがぽつんと取り残された。

 取り残されてしまった。

 でもそれは僕が選んだ道だった。そういう道を僕はこれからも歩んでいくのだ。寂しいと思う日まで、それまでしばらく、独りふわふわと漂い続ける。それが僕にとっての幸せだった。

 

※この小説は筑波のクリエイター Advent Calendar 2017 - Adventarのために書き下ろしました。

秋風に手を振って

 良樹がこっちに帰っていることを知ったのは、彼が東京に戻る直前だった。メールが飛んできて、可能な限り早く駆け付けたけれど、結局会えたのは新幹線の待ち時間になってだった。彼は駅の横のカフェで私にはわからない専門書を広げていた。

「ごめん、お待たせ」

「いや、」

 良樹は首を振ってから、私がコーヒーにとめた視線に気づいて言葉を切った。だんだんと寒くなる季節に合わせて温かく作られたブラックコーヒーは、半分ほど残して、完全に冷え切っている。彼がこのカフェに来てからずいぶんと時間が経っていることの証拠だった。

「いや、まあ、座りなよ」

 いま来たところだよと平然と嘘をつくことも、待ちくたびれたよと茶化すこともない。うん、と頷くことしか私にはできなかった。エプロンをつけた店員が注文を聞きにくるまでの一瞬の間、不自然な沈黙が落ちる。私は内心首をかしげる。夏はこんなんじゃなかった。絶対に違った。もっと楽しく話したはず。何が変わったのだろう?

「久しぶり。やっと会えて、嬉しい」

「そうだね。俺も、もっと来れたらいいんだけど」

「ううん。お互い学生だし仕方ないよ」

「うん」

「……」

「急で、悪かったな」

「そうだよ。せっかくこっちに来てるなら、もっと早く教えてくれれば、ちゃんと時間とって会えたのに」

「ごめん。急な法事でさ、俺も、自由に時間があるかわからなかったから、あんまり期待をさせて落胆させるのも嫌だなって」

 それでも、と言いたくなる言葉をぐっとこらえる。きっと彼も私のことを考えて、こういう行動をとったのだから。けれど、私が何か文句を言いたかったということは伝わってしまっていた。そしてそれを他人行儀に抑えてしまったということも。

 沈黙。

 続く言葉が思いつかなくて、窓に目をやる。道の木々は、すっかり赤と黄に色を変えていた。

 まだ葉が青々としていた夏のことを思い出す。彼と初めて会った夏休みのこと。一日中外で遊びまわった二人の夏のことを。暑い日差しの中で、私たちの間には笑い声が絶えなかった。些細なことを二人の秘密みたいに確かめ合って、一日中話していた。森林公園での初対面のときのほうが、よっぽど今より親しくみえたはずだ。

 あのころが懐かしい。遠距離恋愛だって大丈夫だと思っていた。大学を卒業したら、彼についていけばいい。必要なら、ちゃんと家族という形になって。

 目の前の彼を見る。彼がこんなにも遠く感じるのは、離れ離れに住んでいるからだけじゃない。そんなことで私たちの仲が揺らぐはずがない。冷たく肌を刺す秋の風が、きっと私たちによくない魔法をかけたのだ。

「あ」

「どうかした?」

「時計、見間違えてた。もう電車が出るから、行かないと」

「え、急ぎなよ」

 腰を浮かせた私を、良樹は制止した。

「綾子はいいよ。飲み物も来たところだし、ゆっくりしていきなよ」

「……うん」

 浮ついていた私の前に、店員がカフェオレを置く。白い湯気が立ったそれは、とてもではないが一息で飲み干せそうにはなかった。

「じゃあ、また電話するよ。帰省するときには、連絡するから」

「うん」

 じゃあね、と手を振る。マグカップは熱くて持てなかったから、窓の外を歩いていく彼をぼんやりと見送って冷めるのを待つ。急いで帰省したという言葉通り、軽装の良樹は、まるでデートから帰るだけみたいに見えて笑えてしまった。まっすぐに駅へと向かっていくというのに。

 いまのさよなら、はきっと本当のさよならになる。そのどうしようもなく寂しいその予感を、私には避ける方法がわからなかった。

 

※お題は「任意の楽曲をテーマ及びタイトルとする」
「秋風に手を振って」はアイドルマスターシンデレラガールズの楽曲ですが、今回のキャラクターはゲームとは関係ありません。

夢うつつ

 ドアベルが軽やかな音を立てて来客を知らせた。薄明るい室内を見渡すと、ほかに客はいないようだった。まっすぐに視線を戻すと、グラスを拭っていたバーテンダーと目が合う。彼はわたしに微笑みかけると、すっとその後ろへと目を走らせた。つまり、真っ暗な闇が広がる外へと。

「どうですか、外は」

「もう全然だめよ」

 目線で勧めてくれたカウンター席に座る。

「ひどい霧なの、これっぽっちもまわりが見えないぐらい。やっているお店があってよかったわ、家へ帰るのは諦めたほうがいいんじゃないかと考えていたところなの」

「それは災難でしたね」

「ほんとうに」

 華奢な小皿にのったチーズをひと欠片と、オリジナルのカクテルだというオレンジ色のアルコールをひとくち胃に入れると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

「こんな霧じゃ、看板もクローズにしたくなるんじゃないかしら?」

「しかし、開けていたお陰で、こんな美人なお客様をお迎えすることができました」

 仰々しいバーテンダーの台詞に、思わずくすくす笑う。

「ねえ本当に、わたし朝まで飲んでいようかと思うのだけれど、大丈夫? あなたの、たとえば、心穏やかな睡眠とかに、支障をきたさないかしら?」

「もちろん大丈夫ですよ」

「よかった、ねえ、かかっているのはレコード? それともラジオ?」

「レコードですね」

「もうちょっと音を大きくしてもらってもいいかしら」

「かしこまりました」

 そう言ってバーテンダーが奥に下がる。少し大きくなった音楽に、小さく鼻歌を口ずさんでみた。どこか懐かしいメロディを感じたのは間違いではなかったようだ。

「これ、あれでしょう、十年ぐらい前にはやった。歌もついていないしピアノになっているけれど」

「ああ、そうですね。歌謡曲をカバーしたアルバムなんです。よくわかりましたね」

「当たり前よ。わたし、毎日この曲ばっかり聞いていたんだもの」

 あの夏に君と出会い、初めてわたしの世界が動き始めた。二人ならどこまでも行ける。さあ、旅に出よう。遠い遠い海の向こうまで。

 そういう曲だ。今でもはっきりと思い出せる。

「きみのても、めも、かみも、なついろをして、らら・・・」

 バーテンダーは囁くように歌うわたしを一瞥して、何も触れずにシェイカーに向き直った。それはわたしも望んでいた態度だった。わたしの心は、小さな古びたバーから飛び立ち、十三歳の夏に戻ろうとしていた。

 わたしは毎日ラジカセにかじりつくようにしてあの曲を聴いていた。自分にも特別な男の子との出会いがあって、彼が新しい世界へ連れて行ってくれるんじゃないかって。そんな女の子はあのとき数万人いて、でもわたしは実際にそんな男の子と出会えた、幸運な女の子だった。

 わたしたちは夏のビーチで出会った。彼は茶色の髪をきらめかせて、わたしの手を引っ張ってどこへでも連れて行ってくれた。そうして、遠い遠い南の地で、わたしたちは小さなシングルベッドで抱き合うようにして眠ったのだ。

 それから、

 それから?

 それから何が起こったんだろう。何も思い出せない。あの歌詞も、彼の笑顔も、はっきりと覚えているのに、それからの物語を何一つ語ることができない。まるで時間が、ぷっつりと途切れてしまったように。

 そもそも、わたしはどうしてこのお店でお酒を飲んでいるんだろう? 霧がひどかったからだ。じゃあどうして、こんな霧がひどい街を歩いていたんだろう? 家に帰るために? そう、それは確か。じゃあどこからやって来たんだろう?

「おかわりはいかがですか」

 おそるおそる顔をあげると、彼がいた。茶色の髪を電球で照らして、微笑む彼が。

「わたし、……夢を、見ていたのかしら」

「さあ」

「それとも、いま見ているこれが、夢なのかしら」

「さあ」

 彼は微笑むばかりだ。

「……お代わり、そうね、もう一杯いただこうかしら」

「霧が晴れたら、お帰りになられるといいですよ」

「そうね、もう潮時ね」

 冒険の終わりがこんなだなんて最悪だ。投げやりな気持ちになって、甘ったるいカクテルを一息で飲み干した。

「マスター、おかわり」

「かしこまりました」

 グラスを掴む彼の骨ばった指に見惚れる。このまま時が止まればいいのにと願って、それはあの夏には決して思わなかったことだった。わたしはもう十分に大人になっていた。

 

 

※お題は「濃い霧」「夢」「ボーイミーツガール」でした。

言葉の遣い方

 下駄箱のところで真理亜に出くわした。待っていたの、と聞くと首を振る。じゃあ偶然? と尋ねると首をひねる。よくわからないけれど、無口な真理亜から事情を聞きだすのも面倒なので、一緒に帰ることにした。

 靴を履き替えて外に出ると、太陽は既に姿を隠し、空は紺色に侵されようとしていた。突風が吹いてマフラーを締め直す。季節の変わり目は好きだけれど、いきなり寒くなるのはどうもいけない。遅れて隣に立った真理亜も、手を擦りあわせて暖をとっている。

「そういえば、吸血鬼が出るんだって。そっちのホームルームでも言ってた? 帰り道に襲われないよう気をつけて、って」

 真理亜にそう言えば、彼女は小さく口を開いた。

「くだらないね。時代錯誤」

「まあ、彼らだっていろいろ大変なんだよ。日照時間が長い夏はあんまり外出もできないし、そう考えれば、季節ものと思えば……」

「思えば?」

「面白い、かも?」

「面白くはないと思うけど」

 真理亜は嘆息しながら歩き出す。その足取りに吸血鬼への怯えはない。それはそうだ。陰陽師の直系の血を引いている彼女を傷つけられる妖はそういない。

 歩きながら明日の小テストの話をする。英単語の暗記を問うそれは、聞けば真理亜のクラスは先に実施しているそうで、いい話が聞けた。そのほかにも来週のスポーツ大会の話をして、T字路に差し掛かった。

「じゃあね、真理亜。また明日」

 真理亜が頷く。

「うん。『さよなら』

 あっと思った瞬間には、僕の意識は暗闇に落ちていった。最後に見たのは、呆然とした真理亜の姿だった。

 

 

 次に気づいたとき、僕は落下していた。自分を中心に渦巻く階段の群れが上へ上へと流れていく。落ちている、そのことを意識するのに数秒かかる。意識してからも、自由落下に体を任せてしまいたいという気持ちに身を任せたくなる。

 この空間にいるのは、実のところ、心地よい。体に痛みが走っていないときは、特に。しかし、底まで落ちきってしまえば面倒なことになるのはわかっているので、仕方なしに階段に手を伸ばす。何度目かの挑戦で、冷たいアスファルトを指先で掴むことができた。もう片方の手も伸ばし、無理矢理自分の体を引き上げた。

 上を見上げると、階段はどこまでも続いているように見えて、どこかからか白い靄に包まれている。さらに目を凝らせば、靄が徐々に徐々に降りてきているのもわかる。

 今回はどこまで上りきれるかな。そう思いながら一歩を踏み出す。真理亜が心配しているだろうから、早めに帰ろう。

 

 

 目を開けると視界が美少女の顔で埋まっていた。

「近い。近いよ、真理亜」

 思わず唇がくっついてしまいそうなぐらい近い。

「ごめんなさい」

 そう言って真理亜が身を引く。謝罪には今の状況以外の意味も含まれていると感じた。

「僕、どのくらい寝てた?」

「わからない。一分もしないくらいじゃないかな」

 立ち上がって体の調子を確認する。ぴょんぴょん、とジャンプしてみたがおかしなところはないようだった。

「僕の外見、何か変わってる?」

「見たところ変化はないようだけど」

「じゃあ失ったのは数日とか数週間とかそんなものかな」

「ごめんなさい」

 真理亜がまたうなだれる。僕は苦笑して言葉を重ねた。

「痛くもなかったし、別にいいよ」

「もっと怒ったほうがいいよ、殺されたんだから」

「うーん、まあ、もうちょっと言葉は大切にしてほしいと思うけどね」

「そうね、気をつける」

 いつまでも道端で話し込んでいるわけにもいかない。鞄を拾い上げて、再びT字路に立った。

「じゃあね、真理亜。また明日」

「うん。また明日」

 分かれ道を、お互いの家へと歩いていく。数歩歩いたところでふと足をとめ、来た道を駆け足で戻った。

「真理亜」

 振り返った真理亜の顔は未だ眉が下がっている。

「悪いと思っているなら、明日のテスト、協力してよ」

 真理亜が目を丸くして、それから苦笑した。

「仕方ないな。自分で勉強しないと意味ないんだよ?」

「わかってる。今回だけ」

「特別だよ」

 その薄い桜色の唇が、そっと開く。さあ、と風が吹いて彼女の髪を靡かせた。

『あなたは明日のテストで満点を取る』

 幻想的な予言風景の割には、俗な内容だ。彼女もそう思ったのか、唇をとがらせた。

「今回だけだからね」

「わかってる。じゃあね、真理亜」

「うん」

 先ほどの道を先ほどより軽い足取りで歩く。

 一回死んだだけでテストの点が上がるなんて、儲けものだった。

 

※お題は「ローファンタジー」「螺旋階段」「さよなら」でした。

ヨシノが死んでよかった

 ヨシノが死んだと聞いたとき、よかったと思った。ヨシノはサクラシリーズの最後の一人だった。サクラシリーズは日本の研究所由来の人工生命で、誰よりも人間たちに心を傾け、親身に寄り添い、そして彼らが死に絶えたのに耐えられず倒れていった。ヨシノも例にもれず人間たちが大好きだった。うんざりするほど、センセイたちの話をしてくれた。さえずるような高い声が惚れ惚れするほど美しく、僕たちは人間になんかこれっぽっちも興味がないというのに、その声を聴くためだけにヨシノの周りに集まった。センセイが語ってくれた童話や、センセイが昔旅行に行った先の出来事の話。僕らには何の関係もないその話が、ヨシノには何よりも面白いみたいだった。

 最後のセンセイを埋葬したとき、ヨシノはぽつりとつぶやいた。

「わたしたち、これから何をよすがにすればいいのかしら」

 数は少ないとはいえ仲間がいるじゃないか。僕はそう言った。でもヨシノは首を振った。

「そうじゃないのよ、ラヴァンドラ、あの人たち、もういないのよ。もういないの。帰ってこないのよ」

 それはいいことなんじゃないかと思った。僕は希望として奉られるのにうんざりしていた。遺伝子欠損のない新しい人間、次代へと繋ぐ人工生命、そんなのは嘘っぱちだ。嘘をつくのは本当のことを言うより大変なのだ。センセイたちだってわかっているはずなのに、まるで自分たちも騙されているみたいにふるまうから始末が悪い。

 だからもう嘘をつかなくていいことに、僕はほっとしていた。ヨシノはそうじゃないみたいだったから、何も言わなかったけれど。

 人類が滅亡してから、サクラシリーズはお互いの空虚な心を埋めるように寄り添いだした。彼女たちが語るのは、いつも過去の話ばかりだった。センセイが何を言ったとか、何を作ってくれたとか、何を見せてくれたとか。そうして最後にはため息をつくのだ。ああ、もう誰もいないのね。そんな日々を送っていれば、自然と慕っていた人間たちのもとへ旅立ってしまうのは当然だった。

 あれほどに愛していた人間がいなくなり、仲間たちも消えてしまったヨシノは、とても寂しそうに見えた。だから、もうそんな思いをしなくていいのは、とても良いことだと思ったのだ。

 そう説明すると、ファブリカはそうなのかなと首を傾げた。

「わたしにはわからないよ、でもラヴァンドラが言うならそうなのかな」

「少しは自分の頭で考えたらどう?」

「計算しようとしたら処理落ちしかけたの。ラヴァンドラほどいいチップ積んでないんだから」

「僕だってサクラシリーズに比べたら全然さ」

 サクラシリーズは計算の負荷が重いものの、人間の感情の再現という点においては研究所内でどのシリーズよりも成果をあげていた。センセイたちも力を入れていて、いいチップはみんな彼女たちの中に入っている。

 ヨシノがいなくなった今では、研究所内には機械しかいない。

「それで、ヨシノはどうなったの?」

「そう、それでラヴァンドラを呼びに来たの。ヨシノを埋葬してほしいから」

「力仕事は僕の任務ってわけね、オーケー」

 サクラシリーズは人間たちと同じように埋葬することに決まっていた。最初にヤエが倒れたとき、他のサクラシリーズの子がそう頼んだからだ。そうしてもう動かないガラクタが土の中に消えると、研究所内には綺麗な日常が帰ってくる。今回だって、きっとそう。

 僕たちは掃除もするし、建物が壊れたら直す。でも、ヨシノがいないこの建物は、廃墟と呼んで差支えないだろう。僕たちは、廃墟の中で時間が経つのを待つ。チップが寿命を迎えるそのときまで。それが僕たちに与えられた命令だからだ。

 

 

※お題は「廃墟」「人工生命」「花の名前」でした。

何もない場所を確かめに行く

 ヒールと金属の板がぶつかりあって甲高い音を立てる。カンカンカン。

 一段、二段、と数えていた時期もあった。

 力の続く限り走り続けた時期もあった。

 でもどちらにしたって、結局階段は終わらないし、鉄塔はどこまでも伸びていくのだ。それがわかったから、のぼることに楽しみを見出すのはやめた。習慣にしてしまうのだ。そうしたら飽きることもないし疲れることもない。一歩の重みを減らして、でも着実に、二十センチほどの段差を上にあがる。

 そうして私は毎晩、鉄塔を上っている。

 

 

 戦争なのだ、とその人は言った。

「戦争、ですか」

「そう、戦争」

 それだけ言って彼はフォークに巻き付けたナポリタンを口の中に放り込んだ。途端に目が輝く。

「あの、説明が、足りてないんですけど」

 皿と口を往復する彼の右手は止まらない。ピンと開かれた左手が、私の顔面に突きつけられる。待って、の合図。

 結局彼が再び話し出したのは、ナポリタンをすべて食べ終わってからだった。

「あーやっぱりこっちの食べ物はおいしいよねー」

「どこにでもある、ファミレスだと思いますけど…」

「え、だから、えーっと、話聞いてた? こっちの、地球? の話。僕の世界って固形食糧とか流動食ばっかりでさー、おいしいって感情をこっちに来て初めて知ったよ」

「はぁ……」

 その設定まだ引きずるんだ、と内心呟く。

 でも実際、彼が普通の人じゃないのは確かだと思う。じゃなかったら、私が連日、謎の塔の悪夢を見ることを何も聞かずに当てられるだろう。

「塔を上るのが、戦争なんですか?」

「うん」

「え、戦争、って……銃とか、持って、戦うやつじゃないんですか?」

「うーん、この世界って結構野蛮だよね?」

 彼は微笑んで首をかしげる

「とにかくね、君に上ってもらわなきゃ、僕たちの国は負けちゃうわけ」

「上れるって知らなかったっていうか……ていうか、そんなの、自分たちでやればいいじゃないですか」

「そういうわけにもいかないんだよね。ルールだから」

「ルール」

「そう」

 異世界も面倒なものだなと私は半ば受け入れ始めていた。

「なんで、私なんですか……?」

 彼の目が私をじっと捕らえた。そのとき初めて、彼の瞳が水色をしていることに気づいた。

「選んだんだよ。君なら、きっと上りきれるってね」

「…………そんな、勝手に、選ばれても」

「もちろん、ただ働きってわけじゃない。塔の上に上りついたとき、その上にあるものはすべて君のものだ。正当な仕事に対する正当な報酬が、そこにはあるだろう」

 

 

 目を覚ます。

 夢の中で起きる、という感覚が、未だに慣れない。起き上がって靴を履き直し、また上り始める。現実世界だと可能な限り履きたくない五センチヒールは、夢の中ではどれだけ歩いても全然痛くない。そうじゃなかったら上るのを早々に諦めていただろう。

 鉄塔の中は、どこから光が来ているのか、薄ぼんやりと明るい。階段を上るのには支障がないぐらいだ。外もそうだった、扉を見つけるのには支障があったけれど。かつて外から眺めていただけのとき、塔の表面はつるりとしていた。やすりで磨けるだけ磨き続けたみたいに。内部もそう。無駄な装飾品や配管もなく、ひたすらに簡素な階段と手すりが続いている。

「きっとそれが君の塔という概念なんだろう」

 どうしてなのか聞くたとき、彼はそう答えた。

 子供のときに呼んだ本で、似た挿絵があった、ということをふと思い出した。夢は記憶から形成される、ということも。

 

 

 サークルの活動後、お月見をするんだが来ないかと先輩から誘われた。確かに十五夜だったけれど、その実は酒が飲みたいだけということらしかった。その日活動にいた中で参加しなかったのは、私ともう一人後輩の女の子だけだった。

「月なんか見たって何にもならないじゃないですか」

「別に、月が見たかったわけじゃなくて集まる名目が欲しかっただけだと思うけど」

「酒が飲みたいならそれでいいんです! わざわざ月とか洒落たこと言い出すのがむかつくんです!」

 彼女がどうしてもと言い張るのでコンビニに入って缶チューハイを二本買い、公園で蓋を開けた。おそらく先輩たちよりずっとちゃんと月見しているだろう。

「私、ロマンティックとか無駄に追い求めるのが嫌いなんですよね。例えば、あの月の裏に何があると思う……? とか」

「え、何もないんじゃない?」

「ですよね! それを、夢がないとかロマンがないとか言ってくるの、大嫌いなんです。だいたい、そんな馬鹿なことを考えるような人間が、すっごい時間とお金と労力をかけて、わざわざ月にまで行って、あ、やっぱり何もなかったわ、って確かめてきたわけですよね? それもすごい無駄だと思うんですよね。そんなこと考える暇あったら、もっと建設的なことしろよ、って感じじゃないですか?」

 振られたのかな、と思った。振ったときには、女の子はここまで引きずらないから。

 缶の中が空になったので帰ることにした。彼女は駄々をこねるかと思ったけれど、言いたいことだけ言ってすっきりしたのか、素直に缶をゴミ箱に放り投げた。

 

 

 あ、やっぱり何もなかったわ、って確かめてきたんですよ?

 ふと、後輩の声が響いたような気がした。気のせいかもしれないし、幻聴かもしれないし、実際に聞こえたのかもしれない。夢の中だから何が起こっても不思議じゃない。

 足を止める。手すりから下を覗き込んだけれど、明かりは底まで達していたなかった。今まで上ってきた五、六重ぐらいが微かに見える。きっとずいぶん上ってきたはずなのに何も残っていないなんてな、と寂しく思った。

 少しだけ、身を乗り出す。

「あの塔って、すごい高いですよね」

 ファミレスの薄いコーヒーを飲みながら、最後に聞いたのがそれだった。どうしても聞かなければと思って。

「はい」

「あの、中って、どういう作りなんですか? その、階段、なんですよね? 落ちたりしないんですか?」

「ああ、落ちますよ。当然死にますね」

「えっ」

「あ、いや、夢の中で、って話で。あ、でも今のところ落ちた人は何人かいますけど、現実世界ではちゃんと生きてますよ。だから、まあ最悪のときは一瞬だと思って覚悟を決めてください」

 落ちちゃおうかな、と思った。そうしたらもうこの夢も終わりだ。

 塔の上に何があるか、はっきりとしたことは言われなかったし、あの子の言うとおり何もないのかもしれない。あっても、くだらないものかも。「お疲れ様」って書かれた紙一枚とか。あるいは、塔の上っていうのがそもそも嘘で、階段は永遠と続いて終わりはないのかもしれない。

「君なら、きっと上りきれるってね。まぁ、信じてるから」

 真っ暗な螺旋階段の底を見つめながら、足を浮かせる直前、彼の言葉を思い出した。初めて会ったのに、私を信じ切った目をしていた彼を。どういう根拠があって私を信頼したのかはわからないけれど、私を信じると言った彼を。

 私が上らないと負けちゃうのか。

「うーん……まあ、どうせ夢、だし。何もなくてもいっか」

 よ、と身を起こす。先は長い。どうせ疲れも痛みもないしな、と思って一歩、上った。また一歩。それを繰り返せば習慣になる。

 何もないかもしれない場所を、何もないと確かめに行く。