言葉の遣い方
下駄箱のところで真理亜に出くわした。待っていたの、と聞くと首を振る。じゃあ偶然? と尋ねると首をひねる。よくわからないけれど、無口な真理亜から事情を聞きだすのも面倒なので、一緒に帰ることにした。
靴を履き替えて外に出ると、太陽は既に姿を隠し、空は紺色に侵されようとしていた。突風が吹いてマフラーを締め直す。季節の変わり目は好きだけれど、いきなり寒くなるのはどうもいけない。遅れて隣に立った真理亜も、手を擦りあわせて暖をとっている。
「そういえば、吸血鬼が出るんだって。そっちのホームルームでも言ってた? 帰り道に襲われないよう気をつけて、って」
真理亜にそう言えば、彼女は小さく口を開いた。
「くだらないね。時代錯誤」
「まあ、彼らだっていろいろ大変なんだよ。日照時間が長い夏はあんまり外出もできないし、そう考えれば、季節ものと思えば……」
「思えば?」
「面白い、かも?」
「面白くはないと思うけど」
真理亜は嘆息しながら歩き出す。その足取りに吸血鬼への怯えはない。それはそうだ。陰陽師の直系の血を引いている彼女を傷つけられる妖はそういない。
歩きながら明日の小テストの話をする。英単語の暗記を問うそれは、聞けば真理亜のクラスは先に実施しているそうで、いい話が聞けた。そのほかにも来週のスポーツ大会の話をして、T字路に差し掛かった。
「じゃあね、真理亜。また明日」
真理亜が頷く。
「うん。『さよなら』
あっと思った瞬間には、僕の意識は暗闇に落ちていった。最後に見たのは、呆然とした真理亜の姿だった。
次に気づいたとき、僕は落下していた。自分を中心に渦巻く階段の群れが上へ上へと流れていく。落ちている、そのことを意識するのに数秒かかる。意識してからも、自由落下に体を任せてしまいたいという気持ちに身を任せたくなる。
この空間にいるのは、実のところ、心地よい。体に痛みが走っていないときは、特に。しかし、底まで落ちきってしまえば面倒なことになるのはわかっているので、仕方なしに階段に手を伸ばす。何度目かの挑戦で、冷たいアスファルトを指先で掴むことができた。もう片方の手も伸ばし、無理矢理自分の体を引き上げた。
上を見上げると、階段はどこまでも続いているように見えて、どこかからか白い靄に包まれている。さらに目を凝らせば、靄が徐々に徐々に降りてきているのもわかる。
今回はどこまで上りきれるかな。そう思いながら一歩を踏み出す。真理亜が心配しているだろうから、早めに帰ろう。
目を開けると視界が美少女の顔で埋まっていた。
「近い。近いよ、真理亜」
思わず唇がくっついてしまいそうなぐらい近い。
「ごめんなさい」
そう言って真理亜が身を引く。謝罪には今の状況以外の意味も含まれていると感じた。
「僕、どのくらい寝てた?」
「わからない。一分もしないくらいじゃないかな」
立ち上がって体の調子を確認する。ぴょんぴょん、とジャンプしてみたがおかしなところはないようだった。
「僕の外見、何か変わってる?」
「見たところ変化はないようだけど」
「じゃあ失ったのは数日とか数週間とかそんなものかな」
「ごめんなさい」
真理亜がまたうなだれる。僕は苦笑して言葉を重ねた。
「痛くもなかったし、別にいいよ」
「もっと怒ったほうがいいよ、殺されたんだから」
「うーん、まあ、もうちょっと言葉は大切にしてほしいと思うけどね」
「そうね、気をつける」
いつまでも道端で話し込んでいるわけにもいかない。鞄を拾い上げて、再びT字路に立った。
「じゃあね、真理亜。また明日」
「うん。また明日」
分かれ道を、お互いの家へと歩いていく。数歩歩いたところでふと足をとめ、来た道を駆け足で戻った。
「真理亜」
振り返った真理亜の顔は未だ眉が下がっている。
「悪いと思っているなら、明日のテスト、協力してよ」
真理亜が目を丸くして、それから苦笑した。
「仕方ないな。自分で勉強しないと意味ないんだよ?」
「わかってる。今回だけ」
「特別だよ」
その薄い桜色の唇が、そっと開く。さあ、と風が吹いて彼女の髪を靡かせた。
『あなたは明日のテストで満点を取る』
幻想的な予言風景の割には、俗な内容だ。彼女もそう思ったのか、唇をとがらせた。
「今回だけだからね」
「わかってる。じゃあね、真理亜」
「うん」
先ほどの道を先ほどより軽い足取りで歩く。
一回死んだだけでテストの点が上がるなんて、儲けものだった。
※お題は「ローファンタジー」「螺旋階段」「さよなら」でした。