「(たぶん)BL短歌栞」と、文フリ東京36の振り返り(2023/05)

こんにちは。雨間です。
5/21開催の文学フリマ東京36に参加してきました。

既刊の「Living with Monsters 人外×人間BL小説短編集」や、「Kneel to ME for YOU -Dom/Subユニバース短編集-」を頒布してきました。
有難いことに「Kneel to ME for YOU」はセット買いしてくださる方が多く、R版が見本含め売り切れてしまったので、増刷する予定です。

また、「Living with Monsters」の各話をモチーフに詠んだ「(たぶん)BL短歌栞」を新刊(?)として頒布しました。
残部は通販に加える予定だったのですが、ほぼ売り切れてしまったのでやめにします。今後BOOTHでBOOSTしてくださる方がもしいれば、オマケとしてつけるかもしれません。

毎月なにかを書くチャレンジ、今月5月分は「(たぶん)BL短歌栞」ということにします。

会場で見本として設置する予定だった短歌の一覧。
当日の電車の網棚に置き忘れたので、会場に設置されることはありませんでした。

会場で手に取りながら悩んでくださる方が多く、大変有難い時間でした。
栞裏面のデザインも関係しているとは思うのですが、人気は6>1>3という順でした。6は最初に詠んだ歌で、私も8首の中だと1番気に入っているので嬉しいです。
逆に7などはモチーフになった話の要素が多い短歌なので、読後にみるとより楽しめるかなと思います。

 

文フリ東京36の振り返りも残しておきます。

 

○着くまでと設営の話

・上にも記載しましたが、ポスター関連が入った袋を行きの電車の網棚に忘れたので、ポスター類はすべて当日再印刷しました。売り子として来てもらったどんちゃんに本当に助けてもらいました。ありがとうございました。
<反省>
・最悪の場合に印刷しなおせるように、印刷物はすべてGoogleDriveとUSBに入れておく(PDF&画像形式どちらも)
・電車に乗ったら荷物からは手を離さない

 

○文フリの雰囲気の話
・出展者側で参加したのは3回目でしたが、J庭との違いに色々と気づけて面白かったです。
・違い1:前面に貼ったA1サイズのポスターを見て立ち寄る人があまりいない。やはり文字を読みに来ているんだなと思いました。
・違い2:J庭よりも雑食な人が多い。(BLでもBL以外もなんでも食べます!という人が多かったです)当然かもですが、面白かったです。
・違い3:目当てのものが決まっていない、会場の雰囲気を楽しみに来ている人が多いように思いました。だからこそ魅力的に感じるような商品説明やサンプルが大事ですね。逆にJ庭は、作品の特徴が一瞬でわかるポスターや、事前告知が大事かも。

 

以上です。文フリで手に取っていただいた皆さん、ありがとうございました。

既刊はBOOTHでの匿名通販も行っていますので、よろしくお願いします。
栞は通販ページにはないですが、もしBOOSTいただければランダムでお付けします。(希望があれば購入時にコメントください。売り切れていなければ希望に沿うようにします)

amaaijack.booth.pm

 

最後に、恒例の

4月に読んだ主な本
ウィザーズ・ブレイン Ⅰ・Ⅱ/三枝零一

新刊「Living with Monsters」と、J庭の振り返り(2023/04)

こんにちは。雨間です。
4/2開催のJ.GARDEN53で、新刊「Living with Monsters 人外×人間BL小説短編集」を頒布してきました。
通販もしていますので、よろしくお願いします。5/21開催の文学フリマ東京36にも持っていきます。

表紙メチャクチャいいですよね。

サンプルは
#J庭53 #サンプル 通販開始【J庭53】Living with Monsters 人外×人間BL短編 - pixiv
事後通販は
Living with Monsters 人外×人間BL短編集 - amaaijack - BOOTH

 

毎月なにかを書くチャレンジを昨年11月からしているのですが、今月(4月)新刊が作品ということで。
とはいえ何か残さないのもあれなので、自分の備忘として、新刊やJ庭の感想と反省を書いておきます。随時追記するかもしれません。

以降、ネタバレを含みます。

 

自分の作品の話

・すき透る海に吞まれた・・・タイトル思いついたときは天才かなって思いました。タイトル後に一部本編を(吞み込まれるようなストーリーに)変えました。書き始めたときは気分がダウナーだったのですが、数か月経ってラストを書くときにはアッパーで、ストーリーと連動していて面白かったです。
・ダンス・オン・ザ・ファイア・・・最初のシーンから思いつきました。残酷な場面でする一目惚れが光景として美しかったので。
・金は祝福のいろ・・・最初は友人視点だったのですが、年嵩の男性が書けなかったので少年になりました。
・また今年も、初雪・・・とにかく自分勝手な人間(と、人外)を書きました。
・それぞれのキャラの恋愛指向を、マニア・ストルゲ・アガペ・ルダスで決めて書いていました。どのキャラクターがどれかは、設定資料を見るように>未来の自分へ
・反省ですが、BLから書き始めてしまったので、人外から発想を広げたほうがエモいシーンがもっと書けたのではないかと思う。結局自分がBLを書けたのかもよくわからないし。まあBLはどんちゃんがいるのでいいんですけど。

どんちゃんの作品の話

・曇ブラ子さん。私のまわりで、どんちゃんよりBLに精通している人間を知らないです。どんな作品を見るときも、第一の指標はBL。(めちゃくちゃストーリーよかったよ!と言っても映画観てくれないけど、BLがあったよ!と言えば観てくれる)
・きみで満たして・・・とにかくラストの落ちが綺麗すぎる。素晴らしい。伏線が貼られているのもいい。Rシーンもいいですよね。どんちゃんのBL力の高さを痛感しました。
・疾風・・・J庭の規定と睨めっこしながら、R-18に該当するか?という話をどんちゃんとしていたのですが、この話(ショタ)のせいでR-18確定しました。ショタジジイはいいですよね。熟女好きなのも下世話でいい。
優しい雨・・・BLだ!ちゃんとBLになっている!と感動しました。出会いから、成長後、心境の変化、喧嘩するけど仲直りして仲が深まる……構成が練られていてすごい。流石です。
・初恋、猛進、大爆発。・・・原稿チェックしているときに、Rシーンなく終わってしまったので、原稿途中になっていないですか?って確認しました。そんなことはなかったです、残念。少女漫画みたいで可愛い二人ですね。

 

表紙と装丁の話

・表紙は、どんちゃんのご友人に書いていただきました。できればキャラクター全員載せたいよね、という我儘を聞いて、こんな素敵な表紙を描いていただいてありがとうございました。
・街のビルの広告に、各人外のモチーフを入れたい…というのは無理かなと思っていたのですが、気づいたら取り入れられていて感動しました。
・個人的に一番好きなのは、白(「また今年も、初雪」の攻め)ふわふわで可愛いです。浮気している受けと視線が絡んでいる構図もいいですね。
・人型だと、透(「すき透る海に吞まれた」の受け)。自分はキャラのビジュアルをあまり思い浮かべずに書いていくタイプなのですが、透はイラストを見た瞬間、「透だ!」ってぴったり嵌りました。
・タイトルロゴは銀箔押し+スケルトン加工。読めないかなとも思ったのですが、実物をみると意外と読めました。スケルトン加工は、加工見本より文字が小さかったからかもしれないですが、刺繍みたいで可愛かったです。

J庭の話、その他

・売り手としては文フリにしか出たことがなかったのですが、雰囲気は少し違うなと思いました。壁サーの前の島だったので、行列ができていくのに圧巻されていました。わかりやすい違いだと、終了1時間前ぐらいまで、賑わいが絶えなかったです。逆に、買い物には迷いがない(買いたいものが決まっている感じ)がしました。
・A1サイズのポスターを作ったのですが、遠目に見てくださる方が多くて嬉しかったです。ありがとうございました。

 

以上です。J庭でお手にとっていただいた皆さん、ありがとうございました。

 

 

最後に、恒例の

3月に読んだ主な本
・准教授・高槻昭の推察 8,9/澤村御影
・刹那の風景 4/緑青・薄浅黄 (Web連載からずっと好きな話です)

「Kneel to ME for YOU - Dom/Subユニバース短編集 -」サンプル

一次創作同人誌「Kneel to ME for YOU - Dom/Subユニバース短編集 -」のサンプルです

2023/5/29開催の第三十四回文学フリマ東京で新刊として販売しました。
事後通販も行っています。
タイトル通り、Dom/Subユニバースの短編小説集。
BLと男女CP混在ですのでご注意ください。

無印版(全年齢)とR版があり内容は異なります。
R版は無印版のネタバレ(続編)を含みますのでご注意ください。
セット買いがオススメです。



 

サンプル①Kneel / 不真面目Dom×真面目Sub(BL)

 

「Kneel(跪いて)」

 繰り返し、何十回となく聞いてきた単語だ。今日も僕は唯々諾々と、Domの膝元に座り込む。通過儀礼のようになったこの行為に対して、僕は未だに慣れることができない。興奮も、苛立ちも、情けなさも、まるで初めてのようにわき上がってくる。

 ただ、床に座るというだけの行為に、僕たちの身体ははどうしてこんなにも意味を見出してしまうんだろう。

「Look(こっちを見て)」

 命令に従って、顔を上げる。僕たちの、目線が絡まった。

「Good(いい子)」

 その言葉に、ぼくは。

 

  + + +

 

「人のダイナミクスがそれぞれ違うように、成長も個人差があるんですよ。立花さんのように早いうちからSubとしての特性が出る人もいれば、成人してから出るような人もいます。決して恥ずかしがることではないんですよ」

 安東先生の話を、ぼくは話半分に聞いていた。反論できる箇所はいくらでもあった。そんなことは保健の授業で散々聞かされてじゅうぶんわかってるってこととか、別に恥ずかしがってないってこととか、Subの特性なんて出てないってこととか。でも何も言わず、素直に頷いた。

「わかりました、先生」

「抑制剤も渡しますが、立花さんの体にはまだ強すぎるかもしれません」

 安東先生は机の引き出しから薬の袋を取り出して、渡してくれた。袋には立花文と名前が書いてあった。

「抑制剤の効果は授業で伝えましたが、覚えていますか?」

「はい、先生。抑制剤は、DomやSubの欲求を抑えたり、体調が悪くなるのを防ぐことができます」

「よく勉強していますね、その通りです。抑制剤をいつ飲むか、というのは、患者さんとお医者さんが話し合って決めます。たとえば、風邪薬だったら一日に三回、というのが決まっていますよね? そうではなくて、その人個人の特性にあったように、飲み方を決めるんです。先ほども言ったように、ダイナミクスの特性がどの程度出るか、というのは個人差がありますからね」

「はい」

「立花さんはまだ十二歳ですし、一週間に一回の服用で様子を見てみましょう」

「一週間に一回、飲めばいいってことですか? ええと……」

 ぼくは薬の袋に書いてある手書きの文字を読む。

「二錠?」

 先生が頷く。ぼくは拍子抜けした。もっと飲まなきゃいけないものだと思っていた。一週間に一回だったらへっちゃらだ。というか、飲んでも意味があるんだろうか?

「飲み忘れないようにね。この前みたいに倒れたら大変でしょう?」

 倒れたのは、一度も抑制剤を飲んだり、プレイをしていなかったからだって、先生が言ったのに。一回のみ忘れたぐらいじゃ、影響なんてないと思う。

 という言葉は飲み込む。社会で上手くやっていくコツは、言う必要がないことは言わないってことだ。

「気を付けます」

 ところで、ぼくはこの袋と同じものを、前にも見たことがある。

 

 

 保健室を出た足で、ぼくは美術室に向かった。6時間目の後の学校は、しんと静まり返っている。外から、サッカーをして騒ぐ人たちの声が聞こえるぐらい。

 美術室にも、一人しか生徒は残っていなかった。フジイソウスケ君。

 ガラリ、という扉を開けた音に反応して、彼は振り返った。

「は? なに? 委員長が何の用?」

 彼のイーゼルには、大きなキャンバスが立てかけられていた。それが一面、真っ黒に塗られている。何が描かれているのか、何を描きたいのか、遠目に見ただけではわからない。

 美術室は使いたい人なら誰でも使っていいことになっている。でも、フジイ君がいるから、自然とみんな避けるようになった。フジイ君はいつもイライラしているし、ちょっとしたことでも怒ってきたりするから、みんな関わらないようにしている。

 先週だってそう。フジイ君に関わりたくないからって、オウイチロウとタカバシ君がぼくに泣きついてきたのだ。

 近付くと、キャンバスに塗られた黒色は、厳密にはいろんな黒が混じっていることがわかった。赤っぽい黒、青っぽい黒、灰色みたいな黒、真っ黒の黒。目を凝らせば、何かが描いてあるのが読み取れる気もする。動物?だろうか。

 まあいい。今日の本題は、絵のことじゃない。

「フジイ君ってDom? Sub?」

「なんだよいきなり。どこから聞いたんだよ」

 フジイ君は絵筆を置いてぼくを睨みつけた。

「抑制剤の袋、机の引き出しに入れっぱなしだったでしょ」

「ノゾキかよ」

「引き出しからあふれて落ちてたんだよ。フジイ君、引き出しの中、もっと綺麗にしたほうがいいと思うよ」

「うるせーな。センセーかよ」

 舌打ちをした。どうやら納得したらしいし、引き出しの中がぐちゃぐちゃになっていたのはやっぱり元からだったんだろう。あとでタカバシ君に言っておかないと。机ひっくり返したの全然気づいてなかったよ、って。

「で、なに。俺がDomだからって委員長に関係ある? つーか、言いふらしたって別に構わねーし」

「コマンド、使ってみてほしいんだよね」

「はあ?」

 ぼくは手に持った袋をひらひらと掲げた。

「ぼく、Subなんだって。ぜんぜん症状とかないけど」

「委員長がSub? ふざけんなよ、んなわけねーだろ。委員長がSubだったら、ハセグチとか、タキガワとかだって、つーか、クラスの全員Subじゃねえとおかしいだろ」

「フジイ君、この間もハセグチ君に悪口言ってたよね。いい加減やめなよ」

「委員長、誤診じゃねーの」

「じゃない。この間、授業中に倒れたの、欲求を解消できていなかったかららしいし」

「へー」

 フジイ君は机に頬杖をついてわたしを見上げた。

「で、なんでコマンド? そんな欲求不満なわけ?」

「ぜんぜん。Subって実感もないし、先生は抑制剤でどうにかしろって言うし。コマンド使われらどんな感じなのか、試してみたいんだよね」

「ふうん。確かに俺も、プレイしてみようとか何も言われなかったな」

「でしょ? 近くにDomの人がいるなら――」

「やってみてもいいんじゃいかって? 委員長って意外とヤンチャだな」

 口を尖らせて釘を指しておく。

「先生には言わないでね。怒られたくないし」

「オッケー。じゃあ、どこでやる?」

「ここでいいんじゃない? あの、なんだっけ、一番基本の座るやつ。試しにあれやってみようよ。座るだけなら、どこでもいいでしょ」

「あー、たしかに。それじゃ――」

 

  + + +

 

 このとき、僕たちはまだ幼く、知識も良識もなかった。だからあんなに躊躇なくプレイに踏み切れたのだ。今だったら、セーフワードも用意せず、無防備にコマンドを使うなんてお互いしないだろう。

 たった一言が、DomとSubにとってあれほどの力を持つなんて、僕たちは知らなかったのだ。僕たちは侮っていた――つまり、ダイナミクス、というものを。

 

  + + +

 

「Good Boy(いい子だ)」

 座り込んだ僕の髪に、ソウの手が触れる。それだけで、とろりと溶けていくような快感に包まれる。褒めてもらえた。よかった、ぼくはまたいい子としてみとめてもらえた。

 ふぅ、と吐息を漏らす。足の先、手の指から、体がほろほろと崩れていくようだ。脱力する身体に任せて、ソウの太腿に頭を置いた。

 髪の毛に何かが触れた。それは、ゆっくりとつむじから耳にかけて往復する。鼻をくすぐる油性絵の具の匂い。ソウのGlareが染みわたっていく。ぞくり、と身体の芯が震えた。

「気持ちいい?」

 問いかけに素直に応える。

「……うん。ん、…………ちょっと、……待って」

 頭をあげてふるふると振ると、次第に意識がはっきりとしてきた。

「あー、うん、大丈夫」

「おし」

 ソウが僕を引っ張り上げて立たせてくれた。ベッドに座った彼と向き合うように、学習机の椅子に腰かける。

「で、どう?」

「すっきりした。いつも通りって感じ。ソウは?」

「俺も十分解消できたわ」

「お互い楽でいいよね。Kneelひとつで解消できるんだし」

「まーな」

 小学六年生の秋に初めてコマンドを使ってから、僕とソウ――藤井聡介は繰り返しプレイをするようになった。まだ、パートナーという言葉も知らないうちだ。二人とも早熟だったし、その割りにDomやSubとしても欲求は強くない、というのも一致していた。

 欲求を解消するようになってから、多少の変化もあった。僕は必要以上に先生や親にいい子に見られようとするのをやめたし、ソウはあれほど教師を悩ませていた乱暴な言動を慎むようになった。そうなってから僕たちは初めて、あの衝動が欲求の不満から来ていたのだと知ることになったのだ。

 教師に褒められなくてもいいと気が抜けたとたん、不思議とクラスメイトは僕に信頼を寄せるようになった。それまで僕は、教師にいいカッコをする真面目キャラ――もちろん、いい意味じゃない――で、彼らの都合のいいときだけ頼み事をされていた。そのことに不満なんてないつもりだったけど、人生の悩み事を相談されたり、気軽にカラオケに誘ってもらったり、そういう風に自分を認めてもらえるのは、なんだか嬉しかった。

 一方で、乱暴者でなくなったソウは、女の子から慕われるようになった。美術に専念する彼はミステリアスで、それでいて男らしさもある魅力的な男性――なのだそうだ。僕には女子の考えていることはよくわからない。

「そーいえばさあ、一組の田中? って女子、知ってる?」

 ソウが参考書をパラパラめくりながらそう尋ねてきた。

「さあ……なんで?」

「お前のこと好きなんだって」

「なんだって、って……本人から聞いたの?」

「ちげーよ。なんか噂で回ってきた。あと、三組の宮内はお前のこと嫌いだって」

 それは別に教えてもらわなくていい。

「せっかくだし付き合えば?」

「それ、Domとして言ってる?」

「んなわけねーだろ。友人として」

「ふーん」

 正直、女子と付き合うことに興味はない。Subだからなのか、女の子をリードしたいとか、男らしいと尊敬されたいとか、そういう欲求がない。ソウとプレイをしているほうが、ずっと心が満たされると思う。それを、ソウもわかっていると思っていたけど。

「……あ、そういえば田中さんってあの胸が大きい子か」

 とはいえ、人並に性欲はある。

「フミ、サイッテー」

 女子の甲高い声を真似して、ソウが揶揄ってくる。

「事実を言っただけじゃん」

「じゃあ本人にも言えよ?」

「言うわけないでしょ」

「命令だっつったら?」

「セーフワード使っていい?」

「初めてをここで使うか」

「ていうか、あんまり女の子と付き合うとか興味ないんだよねー」

 と、正直に言う。

「ソウも同じだと思ってたけど」

 あれだけモテているのだ、付き合おうと思えばいくらでも機会はあったはず。

「残念ながらフミと違って、俺は胸より足派でーす」

「そういうことじゃなくて」

 茶化して答えるソウを窘める。

「わかってるよ。わかってるけど、俺はパートナーと恋人は別モンだと思ってるよ。俺といるのが楽しいのはわかるけどさ、一回付き合ってみればそれはそれでいいじゃんってなるかもしれねーじゃん」

「じゃあ何でソウは彼女つくらないわけ?」

「……フミといる方がおもしれーから」

「ほら」

「ほらじゃねーし!」

 ソウが教科書を投げつけてきた。痛くもないけど、びっくりはする。

 こういう、直情的に手が出るところはこの男の本質な気がする。苛立ったり、照れたりしたりすると、すぐに。

「やめろよ、勉強するんでしょ? 目指せ、赤点回避」

「今度こそはなー」

「先生も陰で泣いてるって、頑張りなよ。さっさとノート出して」

「あーい」

 教科書の付箋が貼られたページを開いて、ソウと一緒に覗き込む。

 なんだかんだ、高校を卒業してからも、大学生になっても、働きだしても、こうしてソウと二人でいるような気がする。それは愉快な日々になるんだろうなあと、悪い予感はしなかった。

 

 

サンプル②Shush /優しい支配Dom×従順Sub(男女)

 

 ひかりの彼氏って、Domなのに優しくてほんと羨ましい。

 と、言ったのは早紀ちゃんだった。

 早紀ちゃんもSubで、パートナーのプレイがきつすぎてついていけない、とよく愚痴を零している。けれどプレイ明けの朝はいつもよりも元気そうに見えるから、口ではそう言いつつも満足はしているんだろう。私たちは早紀ちゃんとそのパートナーを、鍋蓋と呼んでいる。割れ鍋に綴じ蓋コンビ。

「ひかり」

 咎めるように名前を呼ばれて、はっと目の前のえいくんに意識を集中させた。わたしの意識が逸れると、不思議なことにえいくんはすぐ気が付く。そして少しだけ不機嫌になる。

「ごめんなさい、えいくん」

「いいよ。ちゃんと謝れてえらいね、ひかり」

 そう言って頭を撫でるえいくんの声には、怒っていた様子は欠片も残っていない。早紀ちゃんの言うとおり、えいくんはいつも優しい。甘ったるいぐらいに。

「ひかり、いい?」

「うん」

「セーフワードは覚えてる?」

「ピアニスト」

 私とえいくんの、子供のころの夢。

「OK。Shush(静かにしてね)、ひかり」

 言われた通り、口を閉じる。

「俺がいいって言うまで喋っちゃダメだよ」

 いつも通りのルールに、こくり、と頷く。

「腕を出して。つけるよ」

 えいくんが鞄からいつもの手枷を取り出した。内側はふわふわの素材になっていて、決してわたしを傷つけることはない。ただ、身動きが取りづらくなるだけ。わたしの自由に動いてはダメだよ、という意思表示。

 手枷をつけ終わると、次は重箱が出てくる。中にはえいくんが作ったお弁当が二人前、入っている。

「はい、口を開けて」

 口を開ける。

「卵焼き。じゃこが入ってるのを、前に美味しそうに食べてたから、今日もそうしちゃった」

 えいくんは、わたしのことを何でも知っている。

「あーん」

 あー、

 ん。

「ちゃんと噛んでね」

 もぐもぐ。

「はい、口を開けて」

 これの繰り返し。

 えいくんに作ってもらったお弁当を、えいくんに給餌してもうこの時間が、私たちにとって何よりも大切だ。そのために、講義がない日も、えいくんに会いに――あるいは、えいくんが私に会いに、大学に来る。たまに講義をさぼったりもする。

 もちろん、大事なのは食事だけではないけれど。着替え、お風呂、朝起こしてもらうこと、童話の読み聞かせで寝かしつけてもらうこと。

 毎日のひとつひとつの動作が、わたしとえいくんを強く結びつけていく。私を、えいくんがいなければ何もできないわたしにする。

  (後略)

 

通販サイト(BOOTH)

BOOTHにて匿名通販を行っています。
ぜひお手に取っていただけると嬉しいです!
https://amaaijack.booth.pm/items/3901768



Champagne(2023/3/1)

 籍だけ先に入れて、結婚式は落ち着いてからにしよう。そう決めたのは自分だったけれど、夫婦になるというのがこんなにもあっけなく終わることだとは不思議だった。記念日だからととったホテルの窓から、ぼうっと夜景を眺めていた。

 好きな女と結婚して、夫婦になる。仕事も順調だ。大手企業で、来年にはチームを任せてもらえると思う。はたからみれば、順風満帆な人生に見えるだろう。事実その通りだ。

 幸福だ。あるべき生活を、やっと手に入れられた。そんな気分だった。

「あーくん」

 背後から声をかけられる。美崎が――妻がシャワーからあがったのだ。

「外を見てたの?」

「ああ、うん」

「本当に高いよね、ここ。スカイツリーも見えるんじゃない」

「たぶん方角が逆だな」

「そっか」

 美崎はいつものように、柔らかく微笑んでいた。

「あーくん、寝る前にちょっと飲む? シャンパンが冷蔵庫で冷えてたよ」

「せっかくだし、そうしようか」

 美崎が棚からシャンパングラスを取り出す。俺は冷蔵庫からシャンパンを取り出して、口を開けた。

 二人分注いで、乾杯、とグラスを合わせる。

「……うん、美味しいね」

「そうだな」

 目の前で笑う美崎を見ながら、かつての会話を思い出していた。

「わたし、恋愛感情っていうものがわからないんです」

 四回目のデートで、彼女はそう言った。

「でも、結婚したい。人生のパートナーはいてほしいし、子供も欲しいんです。だって、一人きりで生きていくのは、やっぱり不安じゃないですか。重大な決断をすべて一人で決めていくのは、重いし、わたしには耐えられないです。それに、家族が欲しくて。わたし、子供が好きなんです。きっと、自分の子供ならもっと可愛い。恋愛が出来ないってだけで、人を好きになって、告白して、両想いになって、お付き合いを続けて、ってそういうルートを歩めないってだけで、全て諦めなきゃいけないんですか? そんなことないですよね? わたしだって、家族を持つって夢を叶えてもいいですよね?」

 俺は圧倒されて、ただ頷くことしかできなかった。

「……すみません。でも、伝えずに、お付き合いしていくのは卑怯だなと思いまして。つまり、わたしは結婚を前提にお付き合いをしたいんです。佐伯さんのことは素敵な人だと思っています。趣味も合うし、真剣な話もできる。何より、現時点の話ですけど、信頼できると思ってます。……佐伯さんは、どうですか?」

「俺は、」

 そう口火を切ったけれど、何を話せばいいのかわからなかった。信頼できると言ってもらえるのは嬉しい? 俺は貴方のことを好きになりかけている?

 美崎はただ黙って俺の返事を待っていた。

「俺には、かつて恋人がいたんです。俺たちは愛し合ってた。本当に好きだったんです。嫌いになるところなんて一つもなかった。……でも、俺が関係性を終わらせたんです。だって、俺は、」

 俺は、人前で泣かないようにと目頭に力を入れた。

「俺も、結婚したかった。子供も欲しかった。恋人がいるかと聞かれるときに口ごもりたくなかった。普通の人に、なりたかったんです。……俺は、愛より人生をとった人間です」

 彼女は震える俺の手を握った。

「幸せに生きていくのに、愛は必ずしも必要ないですよ。わたしたちで証明しましょう」

 そうして俺は美崎という人生の幸せを手に入れて、失恋したのだった。

「……あーくん、後悔してる?」

 そう声をかけられて、我に返った。グラスを手に固まっている俺を、美崎が見ていた。

「いや」

 強くそう言う。

「会ったころのことを、思い出していた。美崎を選んでよかったなって」

 あのころからずっと、美崎を思う気持ちは強くなっている。俺は彼女に恋愛感情を抱いていることを、自覚している。でもそれを彼女に言うつもりはない。苦しめるだけだからだ。

 それにこの気持ちも、結婚して、子供が生まれて親になれば、薄れて別の連帯感に変わっていくだろう。

「うん。わたしもそう思う。あーくんを選んで、あーくんに選ばれてよかった」

 そう微笑む美崎を見ていると、ただ、幸せだ、という気持ちが溢れてくる。

 いまだ心には、ぽっかりと空いた穴がある。俺の可愛い透を手放したときからずっと空いている穴だ。そして美崎を選んだ時点で、その穴が埋まることは永遠になくなった。でも、俺は幸せにならなくてはいけない。それが透を捨てた俺の責務だと思っている。

<2月に読んだ主な本>
裏世界ピクニック8 共犯者の終り

 

 

最初で最後の人生(2023/2/1)

 七十六回目の人生の、十九歳と五ヶ月十五日三時間とんで十秒生きたとき、あたしは札幌の街を歩いていた。隣にはゆっちゃんがいて、かじかんだ手を吐息で温めていた。ビルの灯りと街灯に照らされた歩道に人通りはほとんどない。ただ車道を車が行き交っているだけだ。

「寒いねぇ、さすが札幌。あたし札幌って都会やと思っとったけど、そんなことないんやね」

 ゆっちゃんは暢気な口調でそう言った。

「東京と比べちゃダメでしょ」

「そうかもしれんけど、でも、夜でももっと人がおるんやと思っとった。みんな車で移動しとるんかな」

「北海道は車社会だし、そうなんじゃない?」

「そうかぁ」

 ゆっちゃんは大きく伸びをする。

「ひぃ、このままホテル戻るのでいいがん?」

「いいよ」

「じゃあレッツゴー」

 あたしの手を握ってゆっちゃんが笑った。冷えきっている。まるで死体みたいに。

「……ゆっちゃんは?」

「ん?」

「それでいいの?」

「んー、いいっていうか、ほんともうあたしお金ないから、逆にどこも行けんもん。財布ン中千円ぐらいしかないんやよ。ひぃもやろ?」

「まあ」

 本当は一万円ぐらい入っているし、クレカもあるし、ATMでおろせば二十万ぐらいはある。けれど、ここからもうどこにも進む気はないということは同じだった。

「明日はどこ行く? あの、動物園、有名なん行きたいやん。それから、せっかく北海道まで来たんやし、一番北まで行ってみたいんやよね。なんか目印とか建っとらんのかな」

「でも、もうお金ないんでしょ」

「……そうやね」

 ゆっちゃんは頷いた。

「そうやったら、じゃあ、もういっか」

 立ち止まる。横断歩道の真ん中で。

 繋いだ手に引っ張られて、あたしの足も止まった。

「明日まで生きとっても、何もできんもんね。そうやったら、今夜のうちに死んでいいかもしれんね」

「車に轢かれて?」

「例えばやけど」

「……運転手に迷惑だよ」

 それもそうやね、と頷いて、ゆっちゃんは歩き出した。点滅する青信号を眺めながら、この子はどこまで本気なんだろう、と内心考える。もし、あのままあたしたちに気づかずに突っ込んでくる車があったら。そのまま死んでしまっても、本当によかったんだろうか。あたしは別にいい。七十六回目の人生は平凡で、目新しいこともなく、そんな毎日には飽き飽きしていた。それに、どうせ死んでもまた次の人生が始まるだけだ。

 でも、この子はそうじゃない。たった一度きりの人生を、あたしのために全部投げ出していいって、本気でそんなこと思っているの?

「じゃあ、どうやって死のうかね。海に飛び込んでも、寒そうやもんね。寒いの嫌やなあ、あたし」

「ゆっちゃんは、本当にいいの? このまま、あたしと一緒に死んで後悔しない?」

「うん。あたし、ひぃのこと好きやもん」

「でもさ、本当はこれからもっと楽しいこととか、嬉しいこととか、あるかもしれないじゃん。あたしに流されてるだけかもよ」

「今更どうしたん? ひぃが死のうって言い出したんやん」

 そうだけど、本当にあたしと一緒に死んでくれる人なんて今までいなかった。

「ひぃが死のうって思ったってことは、この世界には生きとる意味なんてない、むしろ生きとったほうが辛いこととか大変なことがたくさんあるんやろうなあ、って、そう、思ったから」

「あたしの判断を信頼してるってこと?」

「信頼――っていうのとは違うかもしれん。ひぃの考えが間違っとって、本当はこの世界には楽しいこととか素晴らしいもののほうが多くて、生きとったほうがよかった、ってなっても、あたし、ひぃのことを信じたの、後悔しんと思うんやよね。だからそれはつまり――最初と同じになっちゃうけど、ひぃのこと、好きってことやと思うわ。……え、なに、どしたん?」

 あたしは、ゆっちゃんのことを、抱きしめた。

 この世界に生きる価値があるものなんてなにもない。あたしは七十五回の人生でそれを痛感していた。悪魔より悪辣な人間も、吐き気を催す人間関係も、地上に生まれた地獄も、いくらでもある。でも、生きるに値するものなんてなにもない。

 ただ、ゆっちゃんを除いては。

「このまま、ずっと」

「ずっと?」

「こうしていたい」

「いいよ。そうしよっか」

 ゆっちゃんの腕があたしの背中に伸びる。ほどいてしまった手は外気に晒されてどんどん冷たくなっていく。でも、あたしはゆっちゃんから離れたくはなかった。

 ずっとこうしていたい。

 どこにも進みたくなんてない。

 もう二度と生まれ変わりたくないと初めて心の底からそう願った。




〖1月に読んだ本〗

戯言シリーズ 1~7巻 /西尾維新  等

 

「授業科目」で五首(2023/1/1)

 

日本史
足利も後醍醐も死んでるし、今は先生のことを教えてほしい

物理
「点PとQは等速で進み、距離は縮まらない」がアンサー

英語
「Of course!海外旅行は任せてよ」のピースサインは化石になった

数学
平均値よりも無個性な中央値 埋没していく安心感=Q

現代文
ごん、おまいが死んでもおれあ生きてるし、年は明けるしめでたくもない





12月に観た映画

アバター ウェイオブザウォーター      など

 

12月に読んだ本

ピエタとトランジ/藤野可織
青木きららのちょっとした冒険/藤野可織
走馬灯のセトリは考えておいて/柴田勝家
オールアラウンドユー/木下龍也
その可能性はすでに考えた/井上真偽     など

FORGIVE (2022/12/1)

 私の仕事は人を殺すことだ。

 主に、若く、考えなしで、根拠のない自信に溢れていて、スリルに飢えている、そういう男女を殺すことが多い。私は彼らを殺す方法を千以上考えてきたし、彼らを追いつめる殺人鬼を五十以上、彼らを恐怖させる怪物を百以上生み出してきた。

 彼らの四肢がバラバラになるといい。そのとき彼らが惨めったらしく生にしがみつき、狂ってしまいそうなほど怯えていたほうが好まれる。ただ単に殺すだけでは駄目なのだ。そこにはより彼らが可哀想に思えるようなドラマが必要になる。まるで何かの罰であるかのように。

 とはいえ私自身はそこには何の感慨もない。最初はあったかもしれないが、もう薄れてしまった。これはただの作業だ。自分が持っているライブラリから、求められるものを引っ張り出して構成し、手直しするだけ。私は無感動に人を殺すことができる。

 メールの着信音。

 大学時代の後輩だった。仕事の後輩でもある。とはいえ彼は私とは違って、明るくユーモラスな人間だ。メールには、これから食事でも行かないかと書かれていた。私は承諾する。誘いは基本的に断らないようにしている。たまには人と行動したほうが健康的だし、私のような人間はいつ誘われなくなるかわからないのだから、断る権利はないと思ったほうがいい。

 上野駅で待ち合わせた。ランチにいい店があるんですよ、と後輩が言う。店に向かって歩きながら、彼はいろいろな話を振ってきた。退屈させないように、という配慮だろう。あるいは、こんな陰気な人間であっても、相手のことを知ろうという姿勢を持っているのかもしれない。いずれにしてもできた人間だ。――このように、知人を上から目線評価するような人間では土俵に立つこともできない。

「先輩、また新刊出しましたよね? 売れ行きいいそうじゃないですか」

「もともと期待されていないだけだよ。無名な作家の本が思ったよりも売れたという、ただそれだけの話だ」

「そんなことないですよ。先輩が無名だったら俺なんかどうですか。でも、一冊買いましたけどやっぱり面白いですよね。わかりやすくて、なんていうか、エンタメ性があるっていうか。最後までの飽きないんですよね。若者に人気あるっていうのもわかりますね」

「わざわざ買わなくても、言ってくれれば送るのに」

「まさか! 書店で買うのがいいんですよ。俺、先輩のファンなんで!」

 後輩は歯を見せてにっこり笑う。あまりにも見苦しくて目をそらした。太陽のように明るい人間が、どうして自分と付き合いを続けてくれているのかさっぱりわからない。聖人君子だから、むしろ、気にならないのだろうか。こんな人間からしたら、私の陰湿さなんて他の人間と五十歩百歩なのかもしれない。そうだとしたらいい。

 ああ、また他人の不幸を願ってしまった。

「この交差点の向こうですね」

 赤へと変わった信号を見ながら足を止める。手持ち無沙汰になって口を開いた。

「君は、いろいろなお店を知っていてすごいね」

「暇があるとついつい調べちゃうんですよねー。仕事しろ! って感じですよね」

「確かに、君はもっと仕事をしたほうがいいかもしれない」

 そう言ってから、きつい言い方だったと気づいた。そもそも他人にサボっていると言えるほど私は仕事をしていないし、そんな権利なんてない。

 慌てて言葉を足した。

「……君の書く話は人の痛みに寄り添ってくれる。君の新刊を待っている人は、きっと沢山いるよ」

 私の本と違って。

 いや、私の本にも読者はいるだろう。けれど私が書かなくなったところで、きっと別の娯楽を見つけるだけだ。私の本を読んでくれているのは、それが手頃だからに過ぎない。彼の生み出す話とは根本的に価値が違うのだ。

「先輩は、」

 彼が何かを言おうとして、ふと言葉を止めた。視線を追うと、右手の道から白杖をついている男性が歩いてくるのが見えた。彼の辿る点字ブロックを、ラーメン屋の前に止められた自転車が塞いでいる。

 ああ、彼はこんなことにもすぐ気づくことができるのだ。

 私は男性に駆け寄り、自転車が、えっと、ブロックを、と支離滅裂なことを言った。それでも、男性はすぐに理解してくれて、自転車が道を塞いでいるんですか、と聞き返すので、そうです、と肯定する。その間に後輩が自転車を邪魔にならない程度に脇へと寄せてくれる。結局私が出る幕はなかった。

 お礼を言って私たちが来たほうへと去っていく彼を見送る。後輩がぽつりと呟いた。

「先輩は、いいひとですね」

「はは、そんなことないよ」

 赤信号は青信号へと変わる。歩き出しながら、どうして後輩は唐突にそんなことを言ったのだろうと不思議に思った。私が男性へと声を掛けたからだろうか。しかしそれはたまたま私のほうが男性に近づくのが早かったからで、彼とさして変わることはないだろう。むしろ、先に男性の様子に気づき、さらに自転車をどかした彼のほうが功績は大きいはずだ。

 しかし、理性的にそう分析していても、いいひとだと言われると嫌な気持ちにはならない。こんな私がまともな人間に、――褒められるような人間であったかのような気がする。そんなはずがないのに。浅ましい。性根が悪いのであれば、せめてそれを認められるだけの謙虚さがあればましになるのに。

 店に着くと、満席だと告げられる。後輩は謝るのを気まずく思いながら否定する。私たちはその場から見えたファミレスへと向かうことにした。風になびくのぼりにはハンバーグの文字が見える。あれを食べたら帰って寝よう、と決めた。

 

12月に読んだ本:
「異常【アノマリー】」/エルヴェル・テリエ
「ビブリオフィリアの乙女たち」/宮田眞砂  など

12月に観た映画:すずめの戸締まり など